私にはジンクスがある。

 

ジンクス(JINX)

「縁起の悪いもの。また、広く、因縁があるように思われる事柄(広辞苑第六版)」

 

それは、

 

”プライベートで知り合い、ビジネスで関わるようになった人間関係は長続きしない"

 

というものだ。

 

断っておくが、これは思い込みによる"プラシーボ効果"ではなく、

 

実際に色眼鏡なく「無色透明な価値観」で人と向き合った結果、発生した事象を振り返った時に、

 

気付くことができた「限りなく確証に近い仮説」である。

 

数の統計、経験という論拠もある。

 

実際に私以外にも身に覚えがある方も多いのではないだろうか。

 

私は過去に会社を1つ、店舗を1つ潰している。

 

振り返ってみると、

 

その両方の原因となったものも、プライベートで知り合いビジネスに転換された人間関係だった。

 

そしてこれらの経験を元に、このジンクスを確証に近い仮説として、

 

同じ過ちを三度と繰り返さないよう、現在の人間関係を精査し人脈を構築している。

 

これは誰にも言っていないことだが、

 

今の私の人間関係、人脈を見回していただければその99.9%が取引関係や異業種交流会、

 

会食会合などの公(おおやけ)の場でご縁をいただいた方ばかりだと気付いていただけると思う。

 

最初からプライベートで知り合って、今もプライベートだけの関係。

 

ただ会って遊んで終わり、

 

そんな方は皆無に近い。

 

起業を決意した瞬間から「1ミリも成長しない馴れ合いだけのプライベート関係は断とう」と決め、

 

徹底的に断捨離をしたからだ。

 

自営業者に、生産性の無い時間を過ごす余裕は全くない。

 

しかしながら、ここにきてまたこのジンクスに当てはまる人間関係が3つ出来てしまった。

 

例に漏れず、うち2つの人間関係は既に消えかけている。

 

今は残りの1つを慎重に観察しているところだ。

 

消えかけている2つの人間関係に関しては残念でならないが、ある程度予期していたことなので既に受け入れている。

 

このジンクスに関しての原因は、総じて明確だ。

 

プライベートから入ると「人間関係に緊張感が無くなりやすい」からだ。

 

プライベートとビジネスの両シーンで、自分の人格と相手への接し方を器用に切り替えられる甲斐性。

 

それが足りていないと、この場合の人間関係は成り立たない。

 

例え片方が出来ていても、相手が出来ていなければ不可能なこと。

 

相対的な関係性なのだ。

 

どんな親しい関係でも、そこに良い意味の緊張感が伴わなければ成長はない。

 

例えば、公の場でも相手のことをプライベートと同じ呼称で呼んでしまう場合、

 

これもマズい。

 

本人は親密度のアピールなのかもしれないが、自らの甲斐性の無さを恥ずかしげもなく露呈しているのと同じだ。

 

大人の、こと自営業者同士の社交としてそれは完全にタブーなのだ。

 

公の場では、殆どの場合相手のメンツがかかっており、メンツとは社会的地位や肩書きのことを指す場合が多い。

 

周りで人が見ている公の場にも関わらず、プライベート感覚で接するというのは相手のメンツを潰すことになる。

 

プライベートでは「○○くん」「○○※呼び捨て」「○○さん」とファーストネームや愛称で呼び合っていたとしても、

 

公の場に出たらお互い「立場のある大人」だ、いや、例え自分に立場がなくても相手には立場というものがある。

 

その場合、相手に肩書きがついているのであれば、なおさら肩書きを付けて呼ぶのが当然のしきたりとなる。

 

このことは本来、文章として書くような内容ではない。

 

読まなくても、言われなくても、学ばなくても分かるべきこと。

 

その原理原則が皮膚感覚で分からない人間が、この世界が生きていくことは出来ないと私は断言する。

 

そして最後に、このジンクスのタチの悪いのが「連鎖をする」点だ。

 

人が知り合う時「その人が"誰か"というより、"誰に紹介されたか"の方が重要」。

 

この暗黙のルールに、大きく悪影響を及ぼす可能性があるからだ。

 

以上を踏まえて、この原理原則が分からない人には極力近寄らないこと。

 

そして、万が一近寄ってしまっても、その人から誰も紹介を受けないことをお勧めする。

 

理由はあるが、1から10まで書かなくても読者には分かっていただけたと信じている。

 

ちなみに、これは”行間を読む”"空気を読む"という、日本人が得意とする特筆すべき能力だ。

 

言葉として声に出さなくても、文章として書かなくても、文脈や行間、空気感から相手が何を伝えたいかを読み取る。

 

言葉にて声に出してしまえば、書いてしまえば、その分望まない相手にも情報が漏れてしまう危険をおかすことになる。

 

今でこそ平和な世の中で皆平和ボケをしているが、少し前までは日本にも当たり前に諜報機関が存在した。

 

情報一つで人の命が左右されていた時代が最近まであった。

 

下克上の戦国時代なら尚更、言葉一つ、文字一つ表現するだけでも命がけだったに違いない。

 

だから極力、大事なことは言葉や文字にしなくても伝わるような非言語でのやり取りを用いたのだ。

 

日本人が、行間を読む、そして空気を読む、という能力が他民族より長けているのはきっとその名残であり、

 

生き抜くための叡智であり、他者に対するイニシアチブだと私は考える。

 

そして自営業者として生き抜くためにも当然、この叡智に長けている必要があるのだ。