専務をはじめ、室長や部長、主任、現場の営業マンに至るまでキーリングはツブ揃いだった。

 

少数精鋭。

 

俺たちは夏はポロシャツ、冬はブルゾンを着てバインダー片手に京都市内一円を折り畳み自転車一台で走り回っていた。

 

京都の北部、左京区や北区は真冬は豪雪だ。

 

もちろん自転車にノーマルタイヤもスタットレスもない。

 

坂道で派手に転んで擦り傷なんて日常だった。

 

自転車を走らせながら頭に雪が3センチ以上積もったこともある。

 

手は悴んでひび割れて...。

 

だけどそんな事関係なかった。

 

学歴も何も無い、俺たちが皆お揃いのロゴが入った青色の制服で日々数字と戦っている。

 

時には難しいお客と対峙したり。

 

色んなトラブルが起きたりと、お世辞にも順風満帆では無かったが。

 

それでも楽しかった。

 

会社全体の一体感、結果がそのまま素直に評価される風通し、

 

それが心地良かったのだろう。

 

青色の制服、そして京都という点で俺たちはまるで”新選組”みたいやな。

 

そんな話もよくしていた。

 

40代、30代、20代が集まりまるで子どもの様に無邪気な会話をした。

 

特に専務は歴史が好きだったので、稼働の息抜きに史跡を案内してもらったりもした。

 

幕末の志士たちは若くして”俺たちが日本を変えるんだ”という志を持っていた。

 

それに準えて何故か自分たちも志士のような気持ちになり、この世界の”何かを変えたい”と心に熱いものを宿していた。

 

京都だからこそ、そういった感情がとてもしっくりきていた。

 

そして、この経験を通して、俺は”自分自身も変わろう”と思っていた。

 

今まで数々のアルバイトを経験してきたが、何一つ長続きしてこなかった。

 

面接に受かる事は得意だが、続ける事が出来なかった。

 

だけど営業だけは違った。

 

どんどんのめり込んでいた。

 

自分を変えるチャンスを営業という世界がくれたんだ。

 

大学は退学することになったが、同級生が卒業した時に絶対に俺の方が社会的に高い位置にいよう。

 

そうすれば、自分の選択を肯定化できる。

 

22歳の時、同い年の新卒たちよりも高い給料を貰い、そして会社で役職に着いている。

 

それが当時の俺の目標だった。

 

結果で示すことが、自己肯定感に繋がる。

 

俺は奮起した。

 

続く。