そんな俺たちも、仕事は勿論真面目にやっていた。

 

むしろ、普段トコトン遊ぶからこそ仕事は人一倍真面目にやろうと決めていた。

 

一部カイジ君だけはどれだけ注意されても遅刻癖は治らなかったが...

 

というか最早遅刻のレベルを超えていた(8時出勤なのに13時出勤とか)、

 

”結果にトコトン拘る”という姿勢だけは皆共通で絶対に崩さなかった。

 

特に主任、俺、ヨースケ、カイジ君の4人だけはトコトンその日の数字に拘っていた。

 

専務に『なんでそんな客とんねん。そのエネルギー他に回した方がええんちゃうけ』

 

と、半ば呆れられるくらい決定率にはこだわった。

 

狙ったら絶対受注する。

 

失注してその日に”ボーズ”をこくくらいなら死んだ方がマシ。

 

冗談ではなく俺は入社して以来、万が一でもボーズの日があれば辞表を提出してやろうという気持ちでやっていた。

 

お世話になっている以上、会社の荷物になるような営業にはなりたくない。

 

それが俺たちのプライドだった。

 

京都の地理を知っている人にこれを伝えると驚かれるが、

 

俺たちは折りたたみ自転車一台で、南は伏見区から北は岩倉村まで走り回っていた。

 

居留守客は相手を怒らせてでも無理矢理部屋から出させていたし、それこそ契約を取るタメなら”借金取り”かというくらい強引なやり方もした。

 

その強引さが仇となり、何度か警察も呼ばれたが...

 

とにかくそれでも諦めない。

 

というか、警察呼ばれるまで諦めないという執念を持ってやっていた。

 

そこまで気合いを入れて稼働していたお陰で、俺たちは社内で何度もトップセールスを受賞することが出来た。

 

もちろん、人一倍契約を取る一方でトラブルも多かったが...。

 

続く。