初七日にあたる土曜日の今日、漸く通夜を執り行う。霊安室の母には毎日お参りしたが、あと1日でお別れだ。

僕は、人の死など真剣に考えた事は無かった。

20年前の父親の時は、癌宣告もあり覚悟が出来ていた。

だから、自分が、母の死でこんなにも考えさせられるとは思いもしなかった。

しかし、突然、苦しむ事なく、亡くなったのなら、これ程遺族想いの逝き方はないだろうと思うことが出来た。潔い。


準備をして、先に娘とセレモニーホールに向かった。

娘に受付を頼んでいたが、結局従姉妹が駆けつけてくれたので、頼んだら、快く引き受けてくれた。ありがたい。


今日は喪主挨拶は省く事にした。一気に気が楽になった。

お寺の住職さんと挨拶、お布施を渡して、母の戒名を頂いた。院号と大姉をつけて頂いた。書家としてある程度大成した母の画号も入っている、素敵な戒名だ。


家族葬なので、母の兄弟、僕の従兄弟が集まるのは目論見通りだ。何十年ぶりの従兄弟もいる。


生花供花もたくさん頂き華やかだ。

2日前、姉が書道会名の供花を僕に頼んできた。母が作った書道会だからと云う。

僕は、納得いかず、それはおかしいと反対したが、恥かくのは喪主のあんただからね、と常套句で取り付く島もない。

だから、一番のお弟子さんに電話した。先ず、母が引退してから書道会は解散したので今は無いとのことだった。僕は「姉から頼まれたが、僕が生花を手配したら、請求書は僕に来るので、僕が払う事になるが、そう云う事でよろしいのですか?」と。結局、1番弟子さんが手配一切を引き受けてくれた。

姉の顔が潰れようが、知ったことでは無い。僕の常識から逸脱していた。


葬儀屋さんとの直前打合せ、姉と僕と3人で。いきなり揉めた。スペースの都合で喪主席が左右に別れる。

僕は向かって右側に僕の家族4人、左側に姉家族3人、お焼香の順番も僕の家族が終わってから、姉の家族の順になる。

姉は反対した。年の順に、右側には7席は置けないのにだ。僕、姉、僕の妻、姉の長男、姉の長女、僕の長女、僕の長男と言った。

僕と妻の間に姉が座るという案、あり得ない。

これは絶対に譲れない。喪主の案以外無いと話した。

姉は他我慢ならない顔をしていたが、結局了解した。

最後まで、自分中心の考え、疲れる。


弔問者も結局50人余り。もはや家族葬の域を完全に脱している。

書道関係、姉の友人からの弔電は無い。供花があるだけだ。

僕の関係は、参列者は2名のみ、あとは供花数基と弔電数通だ。


葬儀屋さんのお陰で滞りなく通夜が終わった。

参列者が未だ食事をしている。

親族は少し待つことになった。

その時を使い、姉と叔母、叔父に声をかけた。

母の死因に新たな情報があるので伝えたいと。


「先ず、姉貴に確認したい。この2年、母は認知症だからね、と言っていたが、どういう事?

母の言ったこと、書いたこと、全て無かったことにするつもり?

母は最後まで、意思、意志は、しっかりしていたので、あの発言は撤回して欲しい。

意志がしっかりしていた事を認めて欲しい。認めないなら、葬儀に出て欲しく無い。」


姉は僕の質問には答えない、答えられないのか。逸らして話した。忘れてたり、違うことを言うことがあったと。


その時、叔父が、僕に向かって口を挟んだ。

「お前は、何が言いたいのだ?

お母さんが認知症か?家族として兄弟姉妹として確かめる権利があるのに、お前が主治医に診断書を出させない様にしたよな?」

とうとう尻尾を掴んだ。やはり、叔父が悪知恵を姉に与えていた。モンスターの仲間確定。


実は、実家の名義が父のままだったので、母に名義変更しようとしたが、姉が自分の名義を入れて置いてと主張し調停から審判に移るほど、係争していた。

この際、姉は、僕と一緒に申し立て人となっていた母に、成年後見人を立てようとしていた。だから、母に認知症になってもらう必要がある。そして弁護士に提出する主治医の診断書が欲しくて、何度も病院に行っては失敗している。

この方法(成年後見人を立てて僕から母の通帳管理を取り上げようとした)を姉が思い付くとは思って無かったが、やはり裏で姉を操っていたのが、叔父だった訳だ。だから、姉が僕の問いに認めるはずも無い。


姉もとんでもないことを言い出した。

「あたしは、診断書が貰えないから、裁判所であんたが持って来た診断書を見て初めて母の病名(MCI(軽度認知障害))を知ったの。」と。


こっちの頭が壊れそうだ。

3年前に姉が母に「お母さん、認知症だからね」と診断書も無いのに言い放った事を、母がどんなに傷ついていたか、全く気にもかけないモンスター。

しかも、母と僕と姉の3人で主治医に話を聞きに行ったこともあるのにだ。

また、母に介護保険を利用してデイサービスを受けさせる為、介護度を決める為の書類の記入を主治医に書いて頂いた。資料にはアルツハイマー型認知症と書いてあり、これを最初に手続きしたのは、他でも無い、姉貴だ。

認知症と言い続けた姉が、最近まで母の病名を知らなかったと言ったのだ。


叔母が軌道修正に動いた。

叔父も年で疲れてるから、妹(母)の新たな死因って何かしら?

「すみません。実は、」

僕は、財布を見つけた事、そして駅前歯科で頂いた紹介状を見せて説明した。


叔父は、何故財布を見つけた事を姉に黙っていたのか?と訳のわからないことで、僕に詰め寄った。


叔母がまた軌道修正した。

「あんなに右顎が腫れていたのだから、土曜日にもあれほど腫れていたなら、金曜日にも顔を見れば一目で分かったんじゃない?

○(姉)ちゃん、金曜日にお母さんと会わなかったの?絶対気付くはずよね。」


姉がまた凄い事を言い退けた。

「金曜日の習字の後、あたしと話した時には、腫れて無かったよ。生徒に柿をあげたりしてたし。」

それ、本当に先週の金曜日のことか?


叔母も半信半疑で、じゃぁ、土曜日のたった一日であんなに腫れたってこと?それはないんじゃない?

これ以上姉の嘘に付き合ってる暇は無いので、僕が「金曜日までは腫れて無かったと姉が見たなら、土曜日の1日で腫れたってことでしょう、と切り上げた。


兎に角、蜂窩織炎にならない様、叔母さん、叔父さんも、虫歯を放って置かない様にして下さい。悲しむ人がいるのですから。と言って終わりにした。


僕なりに、収穫もあったが、後で妻と娘に怒られた。僕が怖い顔をしていたからだ。ごめんね。


続く