「愛」を込めて謹賀新年  直江兼続 天地人 | 千社札な木札屋に家紋カモン

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千社札な木札屋に家紋カモン-直江兼続 天地人 「愛」グッズ 


あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。


2009年大河ドラマは「天地人」 という事で「愛」を込めて直江兼続の「愛」グッズ を作ってみました。


「愛」の兜の前立て、カッコ良すぎです。


この当時のこの兜はどういう評判だったんでしょうかねぇ~?


今だったら、かなり痛いヤツと指差されそうですが、当時は違う感覚なんでしょうかね。


「愛」という言葉の意味あいも、今と昔では違うのかもしれませんね。


wikipediaで調べてみたら、逸話が結構強烈。 さすが戦国武将。


「愛」の兜から想像するイメージとはえらく違うなぁ。 妻夫木君のイメージとも違うなぁ~。



wikipediaより

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「愛」という字を前立にあしらった兜をかぶっていた。
「愛」は「愛染明王」又は「愛宕権現」からの由来といわれているが実際は不明
そのときの兜が米沢市上杉神社稽照殿や米沢市の宮坂考古館に保管されている。



あるとき、兼続の家臣(三宝寺勝蔵)が下人(五助)を無礼討ちした。
すると、その五助の遺族たちが兼続に「あれの粗相は何も無礼討ちにされるほどの
ものではなかった」と訴え出た。
兼続が調べてみると遺族の訴えの通りだったので、
兼続は家臣に慰謝料を支払うように命じた。
しかし遺族たちは下人を返せと言って譲らない。
兼続は「死人は生き返らないのだから、慰謝料で納得してくれないか」と言ったが、
遺族たちはあくまでも下人を返せと言い張る。
すると兼続は「よしわかった。下人を返して取らそう。
だが、あの世に遣いにやれる者がおらぬゆえ、すまぬがそのほうたちが行ってくれぬか?」
と言って遺族3人の首をはね、その首を河原に晒して、その横に立て札を立て、
そこに、「この者どもを使いに出すから死人を返せ 慶長二年二月七日 直江山城守兼続判」と
閻魔大王への嘆願書を書いたという。



景勝の代理として大坂城に上った際、伊達政宗が同席の諸大名に
「めずらしいものを」と天正大判を回覧した際、素手ではなく扇子で受け、
撥ねるようにして表裏を見たという。政宗は、兼続が陪臣であるために遠慮していると思い
「山城、手にとって見るも苦しゅうないぞ」といったところ、
兼続は「冗談召さるな。不肖兼続の右手は戦場にあっては先代・上杉謙信の代よりの
采配を預かるもの。左様に不浄なものを触れるわけには参りません」と、
政宗の膝元へ投げて返したという。



後年、江戸城内で伊達政宗とすれ違った時、兼続は知らぬ顔で会釈をしなかった。
政宗が「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」と咎めると
「これはご無礼いたしました。これまで兼続は中納言様(政宗)とは

戦場で相まみえる間柄だったゆえ、戦に負けて逃げる)後姿しか拝見した事がなく、

お顔を存じ上げませんでした」と慇懃に答えたという。


千社札な木札屋に家紋カモン-直江兼続 愛の兜の前立