私の父は先天性の心臓の中核欠損(心臓の壁に穴が開いている)であった。

 

彼は昭和二年生まれで終戦の夏は丁度二十歳になろうとしていた。

 

中核欠損は大人になって心臓を肥大させていたので

おそらく父は徴兵検査で落ちて、戦地へは行けなかっただろうと思う。

 

父は12人のキョウダイで唯一、一人だけ生き残った男の子であった。

父は絵描きになることを夢見ていたが、

たった一人だけの男の子は稼業を継いでいくのが当たり前の時代だ。

 

父は「旗小屋の息子」であったので祖父は絵を描くことを一切禁じた。

時には屋根の上に座り親に隠れて絵を描き続きてきた。

 

父が亡くなったのは五十三歳。

 

父は戦時中合法で町の薬局で手軽に手に入れることができたヒロポンを

使い始める。

 

それを私が知ったのはおおよそ父が亡くなって三十年以上が過ぎた頃だった。