おはようございます。終活の窓口ばらっち のブログです。今朝も訪問いただきありがとうございます。
一月もそろそろ終わりますね。もうすぐ2月。
今日は以前に下書きとしていた保険のショップでの出来事を書きますね。
懐かしい保険の来店ショップの一コマです。
午前中22歳の可愛らしい女の子が就職を機に保険に入りたいとのことで相談にきてくれました。
自分の子供より若い。若さは素晴らしいですね。店舗の椅子に座って話しているだけで、店内が輝き、まるでスポットライトで光っているように美しさを放ちます。
とても感じのいい子でした。 今日は来店ありがとうございます。
ところで私は、何故長くこの仕事をやっているのでしょうか。
特にこの代理店の店舗のカウンターで、お客様自ら来店いただく仕事になってから、楽しさはとにかく倍増しました。
それは、私から売り込みにいかずとも、必要を感じた方が「向こうから」訪れてくださるあがたさにも通じるのですが、一般の方にとって、保険は難さに裏打ちされているのでしょうね。沢山の保険会社をご案内できる喜びに感謝は尽きません。【ありがとうございます】
今日は「死」との向き合い方を書いてみようと思います。
死を見つめることは、太陽を見つめるようなものだ、とよく言われます。短い時間だけなら考えることはできても、長い間ずっと直視することはできない。
末期の患者さんが、病気が治ることへの希望を打ち明けたからと言って、必ずしも死を受け入れられていないというわけではないようです。
周りからみれば、矛盾した気持ちを抱えるのは、末期の患者さんの特徴であるといわれます。しかし、本人が急に「もしかして治るかもしれない」という非現実的な希望を語ったら、困ってしまいますね。どのようにその希望にこたえたらいいのか・・・。
「そんなことあるはずがない」と否定すれば、きっとその方を傷つけてしまいます。かといって「そうだよね、もしかしたら治るかもしれないよね」と、思ってもいないことを口にして励ますことは、正直な会話にはつながりません。このようなときは「もしかしたら治るかもしれないって希望があるんだね」とその方の言葉を反復するといいと思いました。その方たちは、自分の気持ちを理解してもらったんだ。と感じるでしょう。いずれにしても、その方たちは答えを求めているわけではなく、気持ちを受け止めて欲しいだけなのですね。
昨日、孫たちに料理を作っているとき、すい臓がんでなくなっていった母のことを思い出しました。そして玉ねぎを切りながら涙が出てきてしまいました。
がんの末期であること、本人には余命を伝えなかったけれど、もうそんなに長くはないだろうと本人もわかっていたと思います。そんな中でも、検査の数値がもの凄く改善した表を見せては(薬で改善してるだけなんですが・・・)もしかしたら、治ってきてるのではないかと、言い出してくることが度々ありました。「よかったね」とは言っても軽々しく浮かれた話をしては本人を辛くさせるのだから、どういう言葉を発したらいいか、何回も迷いました。その時から随分たっていろいろな本を読み出して、さきほどのような「治るかもしれないって希望があるんだね」というようなことをあの時言ってあげればよかったかな。と野菜を切りながら・・・思いました。
今日も訪問いただきありがとうございました。
東京は寒く、午後からは雪☃️の予報です。夜半からは積雪もありとのことなので、どうぞ暖かくしてお過ごしください。
素敵な月曜日を。