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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、
「いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である」
という論考を掲載している著書があります。
それによれば、
「「個性的な人間でありたい」と切望する気持ちがないわけではあるまい。
どんな人間だろうと自分の存在意義を求めようとするものだ。
思いをストレートに口に出すと、周囲から自分だけが浮いてしまう。
みんなと同じでなければ安心できず、たとえプラスの方向であったとしても自分だけが目立つことは避けたい。
近年はそんな心性が広がっているように見受けられる。」
とあります。
ある中学校の生徒たちは、
「個性的と言われると、自分を否定された気がする」
「周囲と違うってことでしょ? どう考えてもマイナスの言葉」
という反応だったというのです。
また、
「「個性的であること」は、組織からの解放を求めるには好都合だが、組織への包摂を求めるには不都合である。
自分の安定した居場所が揺らぎかねないからである。
今日の若者たちは、かつてのように社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている。」
とも書かれています。
ただ、若者たちの人間関係が希薄である、というわけでもなく、
「上役と仕事以外のつき合いはあった方がよい」
と考える割合は若年層ほど高く、20代では70%を占めるといった調査データも紹介されています。
この著書に書かれていることが真実かどうかはわかりませんが、この説に基づくならば、若い人たちは、それだけ、自分の能力に対して否定的な認識を持っている、ということなのでしょう。
周囲の人と違うことを怖れる風潮は、何も若い人に限ったことではありません。
日本では、周囲の人と同じことで安心を得る人たちがいます。
そのような人たちは、先にも示した通り、自分の能力に対して否定的な認識を持っています。
つまり、
「自分には他人よりも秀でた能力がないのだ」
と思い込んでいるわけです。
そのために、自分の能力が試される状況になることを極端に怖れるわけです。
それが、言うならば、自分の個性が試される状況ということになります。
そうして、そのような状況になることを避けようとします。
従って、彼らは何も好き好んで、周囲の状況に溶け込む擬態を演じているのではないのです。
自分にスポットライトが当たることが怖いゆえに、それを避けるという欺瞞を演じているに過ぎないのです。
【参考文献】
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