ご訪問いただき、ありがとうございます。
福場です。
前回記事 協力的な暮らし シャア編その1の続きです。
前回記事はコチラ→http://ameblo.jp/kiduki-in/entry-11922697777.html
協力的な暮らしについて、ある方の発表について
中学生の娘さんが、弁当のお箸を忘れたケースを話していました。
お箸を入れ忘れたのは、母親の失敗(お箸を入れるのは母親の責任)と解釈。
車で、娘さんを追いかけたそうです。
途中で追いつき、自転車通学中の娘さんにお母さんが声をかけたそうです。
娘さんはびっくりしたそうです(何事かと・・・)
そして、娘さんにお箸を渡そうとした時、うっかりお箸を道に落としてしまい。
お母さんは、ごめんと言いながら、箸を洗ったら食べれるからと声をかけたそうです。
その発表者(お母さん)は、普段お箸を忘れて追いかけたことなどなく、
こんなことは始めただと言ってました。
この発表について、コメントありがとうございます。
アドラー的に考えれば、人が社会でより良く生きるためには
互いに協力し、貢献しあうことが良いと考えています。
そのためには、自立した個人である必要があります。
自立していなければ、依存関係になる可能性があるからです。
中学生の娘さんを信頼して、(お母さんの失敗)お箸はなんとかするでしょう。
お母さんの責任は、その結果を引受ければいいわけです。
(仕事などで箸を届けに行ける状況でない場合もあるわけですから)
箸がなかって、食べれなかった!しっかりして!頼りないな!と娘さんからボロカスに言われたとしても
課題の分離という概念のみを忠実に守り過ぎ、その本質の意味を理解していないように思うのです。
喩えれば、接客業で、マニュアルを厳守し、本当の意味のサービスを理解していない場合に似ているように思います。
ちょっと分析的に解釈すれば、”普段こんなことはない”ということをわざわざ語ることから
お母さんは完璧でなければならないという信念がありそうです。
それを娘さんにも押し付けないように、(たぶん)アドラーを勉強しているので、意識されているようですが残念ながら無意識の行動で伝わるものです。
だから娘さんを信頼できないわけでもあり、娘さんもその信念を学習する可能性があります。
つまり、こうやって自立を妨げ、協力ではなく、依存関係になるということです。
ちょっと完璧をやめてみる必要もありそうです。そうすると相手を信頼するしかなくなりますから
それが自立を助長し、貢献や協力しあう関係になるための一歩だと思うのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
にほんブログ村
幸せになりたい方は、
幸せになるための気づきの思考法テキスト
「気づきの思考法養成講座ー総論ー」を読んでください。
→コチラ
をクリックしてください。