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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
前回の記事では、人のぶしつけな態度について書きました。
そして、そのような人たちは、自分の態度を通じて、自分が良好な人間関係を築ける相手ではなく、他人よりも目立ちたがっているのだということを分からせるような合図を送っているのだ、ということも書きました。
不作法という口実
このように、あれやこれやの不作法なことする人たちは、仲間の人間のことをあまり考えない、という印象を与えます。
そして、私たちを驚かすのは、こういう現象そのものではなく、これらの不作法さが、大抵の場合、その起源を幼児期に持っているという事実です。
なぜなら、ただ真直ぐに成長するような子どもはいないからです。
それゆえ、私たちの注意は、むしろ、こういうことから脱することのない人たちがいるという状態に引きつけられるのです。
これらの現象の原因を深く探ってみると、これらの人たちが、自分たちの仲間の人間や自分の課題に対して、多かれ少なかれ拒否的な態度を取っている、ということに突き当たります。
彼(女)らは、もともと、人生から遠ざかろうとし、人と一緒に働くことを拒否するような人間なのです。
そのことによっても、なぜ彼(女)らが、あれらの不作法なことを止めるようにという道徳的なアドバイスによっては説得され得ないのか、ということが分かってくるのです。
なぜなら、人生を遠ざかろうとしている者が、人生に対してこういう態度を取ることは、例えば爪を噛むということは、その人にとってはまったく正しいことになるからです。
これに勝るような回避策はほとんどないし、例えばいつも汚い襟をしていたり、破れた上着を着て現れたりすることに勝って効果のある手段はあり得ないのです。
こういう仕方で人前に出ていれば、一番確かに、他者の注意や批判や競争などにさらされる仕事に就くことから免れることができるし、あるいは、愛や結婚という課題から逃亡することに完全に役立つと言えるでしょう。
このようにして、彼(女)らは、自ら競争から身を引き、自分のぶしつけを引き合いに出すことによって、良い口実にしているのです。
つまり、
「もし、自分が、このように不作法でなかったならば、何でも達成できるであろうに、しかし、自分には、こういう不作法が身についてしまっているのだ」と。
この続きは、次回に書きます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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