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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
人間が生まれたときから、その最後のときに至るまで、心とからだでは、生長と発達の連携が絶え間なく続いていきます。
からだと心とは、一つの全体の不可視の部分として協力し合っているのです。
心は、言わばモーターのようなものであり、その力で、からだの中に見出されるあらゆる潜在力を引き出し、からだが安全で、そして、あらゆる困難をも乗り越える立場に達するのを助けるのです。
従って、からだのすべての運動の中に、すべての表現や徴候の中に、心の目的が刻印されていることが見出されるわけです。
運動の方向性
人間というものは、動くものであり、その動きには意味があります。
人間は、自分の目や舌や顔の筋肉を動かします。
そのとき、その人の顔は、表現を持っており、意味を持っています。
そこに意味を賦与するのは、心なのです。
要するに、心理学という領域は、個人のあらゆる表現の中に含まれている意味を探求し、その人の目標への鍵を見つけ、それを他の人たちの目標と比較するところにあるわけです。
安全という究極的な目標に向かって努力しながら、心は、常に、その目標を具体的なものにする必要性に直面します。
つまり、
「この特定の点における安全な線」
を計画し、
「この特定の方向に進むことによってそれが達成される」
ことを計測する必要に迫られるのです。
もちろん、ここには、間違いがなされる場合もあります。
しかし、極めて明瞭な目標や方向設定がなければ、そもそも運動というものは、全くあり得ないのです。
もし、私が手を挙げるとすれば、その運動のための目標というものが、すでに心の中になければなりません。
この場合、心が選び取る方向が災難に導くかもしれません。
しかし、その方向が選ばれたのは、心が、それを誤って最も有益な方向だと考えたからに他なりません。
こうしてみると、心理的な間違いというものはすべて、運動の方向の選択における間違いなのです。
安全という目標は、すべての人間に共通するものだと言えます。
しかし、ある人たちは、その安全が存在する方向を誤り、彼(女)らの具体的な運動が彼(女)らを迷わせてしまうのです。
この続きは、次回に書きます。
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