「ゆとり」見直しに賛成78% 朝日新聞世論調査
2005年03月15日08時42分

ゆとり教育を見直すことに賛成の人が78%にのぼることが、朝日新聞社が12、13の両日実施した全国世論調査(電話)で明らかになった。土曜日を休みにした学校週5日制には、62%が反対。「ゆとり」の象徴的存在である「総合的な学習の時間」(総合的学習)を減らして主要教科を増やすことにも、51%の人が賛成している。一方で、ゆとり教育の目的だった「生きる力」を育てる役割を学校に「期待する」と答えた人が66%おり、その理念は否定しないという姿勢もうかがえる。
http://www.asahi.com/life/update/0315/002.html


「生きる力」のもつ意味が今一つ良く分からない。ゆとり教育の目的というからには、その理念が教師はもとより生徒や親にまで、共通の認識があって初めて有効に機能するもとと考えられるが、実際はどうなんだろう。

一般の企業においても、「経営理念」「ミッション」を掲げるところは多いけれど、その内容はもとより、その理念が「いかに末端の社員にまで浸透しているか」ということがその理念を実現させるポイントになるんですね。会社の経営陣だげで、あーでもないこーでもない、と作り上げた理念が一般の社員に全然認識されていないとしたら、その理念は「絵に描いたもち」でしかない。


「生きる力」という言葉は「絵に描いたもち」になってはいないだろうか。
当事者である子どもにも分かる様に「生きる力」の理念が説明されているのだろうか。
ましてや、教師間でその理念は共通認識されているのだろうか。

「総合学習において、何の為にこの授業を受けているのか?」という基本的な問いに生徒や教師はどのような答えを出すのだろうか?

学習効果を高めるには、目的意識を明確に持つということは重要なファクターであるが、そこが、いまの総合学習に限らず学校教育全般において一番欠落している部分であるような気がしてしょうがない。
トントンギコギコ図工の時間」を観ました。
同じ公立小学校でもこんなにも授業のクオリティが違うものなのかと唖然としました。

「東京都品川区立第三日比野小学校」のみんなは恵まれてますよ~。どこでどのような働きかけを
すればこのような事業が実現できるのか?それは図工の時間だけの話なのか?(図工専科…図工を教える専門の先生がいるってこと知ってました?)

図工の時間は削減の方向にあり、図工専科の先生たちも困っているらしい!

ウーン、この映画をみて地元の小学校との格差をどのように埋めてゆくか?などを普遍的に考える場としてNPOの活動するスペースはかなりありそうである。

トントンギコギコ図工の時間 ホームページ

上の写真はパンフレットの中の図工室にイラストです。監督さんもチャーミングな方で、パンフにサインをもらい会場の「寒さ」で凍えた心もすこし和みました。
コンサル先のNPOが映画の上映会を催すというので、視察に出かけた。(モチロン自腹である。大人1500円也)

題名は「トントンギコギコ図工の時間」野中真理子監督の作品である。
なんでも「文化庁文化記録映画 優秀賞」受賞作品だそうだ。
こちらとしては、NPOの事業活動をすこしでも知っておきたい一心で参加しているので、映画そのものには大して期待はしていなかった。

AM9:30上映開始だったので、15分前には到着するように早めに出掛けた。(駐車場には限りがあると書いてあったので)少し分かりにくい場所で少し迷ったが、道は空いており20分前には到着した。

会場に着くと、どうやら「一番のり」のようだ。受付さえ用意されている様子は無い。
併設されている保育園の園児やそのお母さん達がいるだけだ。この状況で手持ち無沙汰の大人の男の立場は、少々辛いものがある。不審者に見られるような顔付きはしていないつもりであるが、なにせ此処は先日世間を騒がしたばかりの寝屋川市である。

居づらくなって、時間つぶしに外へ出た。

外で15分ほど散歩し上映5分前になり、再び会場に入った。さすがに受付も用意されていたので、少し安心して受付で大枚1500円也を支払い上映会場に入場した。

上映会場に入って驚いた。またしても「一番のり」である。(上映5分前やで…)

そして更に驚いた。会場に椅子がないのである。

フットサルのコート2面位はある体育館の様な会場の真ん中に無造作に映写機が置かれているだけなのだ。
どうしたものかと一人佇んでいると、映画技師らしきおじさんが「まーその辺適当に座っといて」とありがたい声を掛けて下さった。(すかさず心の中で突っ込んだ”今は2月、真冬やで!しかもこれからバスケしよちゅうわけやないねん。これから2時間じーっとすわって映画みせてもらいますねん。寒むー寒むすぎるでアンタそんな殺生な!”)

暫くするとパラパラ人が入り始め、入場者が約20人位になった時点で上映開始された。

映画は良かった。(内容は後日。)

冷たい床に座り、凍えながら100分間の上映時間が過ぎた。(空調が不調だったらしい…)

スケジュールによるとその後監督を交えたトークライブが企画されている。

そこで、またしても驚いた!

トークライブの準備を行いまーす。と言いながらNPOのスタッフがなんと「立派な椅子」をセッティングし始めているではないか。(頭が混乱しながら心の中で突っ込んだ”あんねんやったら、はなからださんかい!)

何故?何故?何故?なぜ映画が終わるまで椅子の出し惜しみをしたのか。いくら考えても良く分からない。(今度担当者に聞いてみよ!)

昨今、巷ではCS(顧客満足度)だとかホスピタリティ(おもてなしの心)などが重要とされていますよね。NPOにも当然、当てはまる考え方だと思うのですが…

NPOの人達って少し不思議だ。




中山文部科学大臣は中央教育審議会において、02年度から始まった「ゆとり教育」について全面的な見直しを要請した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050216k0000m010123000c.html

詰め込み型教育の影響で、いつも元気が無く息がつまりそうな表情の我が子の姿を見て、もっと「ゆとり」のある環境のなかで、自由にのびのびと育って欲しいと願い始まったはずの「ゆとり教育」であるが、すこしテストの点数が悪くなっただけで早くも「脱ゆとり宣言」である。

やはり、「偏差値至上主義」の環境で育てられた文科省のお役人さん達には「偏差値以外」の価値を教育の場で見出すことは非常に困難であったようだ。

学力テストの点数で、ここまでドタバタする位なら最初からやりなさんなって。

時代にあった新しい教育のスタイルが求められているが、それを考えるのは、「お役人」には相当無理があることが今回分かったような気がする。

こどもは世界の重要な財産である。

社会全体が「こどもを育てる」ことについて総力をあげて取組む時期がきているような気がする。

そのような場面においてNPOの果たすべきスペースはかなりありそうである。

今日、私の地元である大阪府寝屋川市で痛ましい事件が又起きてしまった。

今日帰宅するまで事件のことは知らなかったのだが、帰るなり妻が青ざめた顔で事件のことを教えてくれた。
彼女は、ちょうど寝屋川市の実家に立ち寄っており、現場の近くを車で走っていたのである。(すごい数のヘリコプターが旋回していたらしい…)

被害にあわれた先生は勿論であるが、その場に居合わせたこども達への影響が心配だ。自分が毎日のように顔を合わせ授業を受けていた先生が突然、母校の卒業生に刺殺されるとは…小学生の柔らかい心や頭にどのようにこの悲劇は刷り込まれてゆくのだろう。

私には小学1年の娘が居るが、娘の前でその話をすることはためらわれた。しかし、注意をしない訳にはいかないのだが、上手い言葉が見当たらない…。

学校のセキュリティに関して和田中学校長の藤原氏(公立高校の逆襲 いい学校をつくる著者)は
①「塀を巡らせ、門を閉ざして守る」
②「門を開き、多数の目にさらして守る」のどちらかであると述べられている。

そして仮に相手が悪意で狙ってきた場合は、①であっても完璧ではない。むしろ、①の場合雨戸を下ろした家に空き巣が入ったときに外からの視線を気にせず仕事ができてしまうというジレンマが、そのまま学校のケースにもあてはまる。そして、公立校のとるべき道は、地域に開いて、しょっちゅう出入りしてくださる「地域の人々の目」でまもるのが正しい、と考える―。と結ばれている。

私もその意見には賛成である。

もしも、今回の事件の場合においても、犯人の少年の素性を知る同級生や近所のおっちゃんやおばちゃんがその場に居合わせたとしたら、犯行の抑止力に成り得ただろうか?

今はその可能性に賭けたいと思う。

学校を要塞化するような世論が高まることを危惧します。

殉職された先生に合掌。

わが校区の小学校に、関西エリアではお馴染みの元関テレ名物アナウンサー桑原征平氏がやってきた。子供会主催の「子育て講演会」の講師として招かれたそうだ。
集客に困っているという話だったので、NPOコンサルの参考になればと、一人で出掛けた。(こどもを誘ってみたが、見事にふられた…)

入ってみると、8割方座席も埋まっており、何故かひと安心。

講演の方はさすがは話のプロ、約1時間半参加者を飽きさせないエネルギッシュな話を聞かせていただいた。
関テレは、先日独立した梅淳もそうだか良くも悪くも関西色丸出しのコテコテのアナウンサーの宝庫だ。後を継ぐのは誰なんだろう?
よき伝統(?)を継承してもらいたいもんである。

話の内容は人や生き物、環境に対する「思いやり」の大切さといった「道徳的」なものであった。

こういう講演で、言われている事はもっともなことであるし異論はないのであるが、このような講演をもっと、日々の生活に役立てるための仕掛けは無いものか、なんてことをつい考えてしまう。

講演会やシンポジウム等は各地で数多く行われているが、ややもすると講演会やシンポジウムのやりっぱなしに陥ってないだろうか?

もっと効率的にダイレクトにそして継続的に、人々の生活に役立つ「仕掛け」「場」を考えてゆくことに、NPOが活動できるスペースがありそうである。
今、こども教育関係のNPOのコンサルをしている関係で「教育」関連の本を乱読している。「仕事」だからという訳だけでなく、7歳と5歳のこどもを持つ身としては、他人事ではないのである。

①「教育の崩壊という嘘」 村上 龍
②「公立校の逆襲」いい学校をつくる! 藤原和博 の2冊を併読している。

①の「教育の崩壊という嘘」は2001年に発行されたもので、この時期教育関係に深くコミットしていた村上 龍による対談集である。

教育をする立場の「教師」や「親」の質が低下し「教育が崩壊」しているという認識は「嘘」であって、近代化を果たした後の日本の状況において、従来の「教育のやり方やノウハウ」では適応しきれない構造的な問題であると指摘している。

マーケティング的にいうと顧客(こども・社会)のニーズの変化にサービス(教育のコンテンツ・システム)が追いついていないといった現象が各地でさまざまな軋轢を生み出しているようである。

成熟し多様化した市場には「one to one」個客対応が基本であるが、教育分野ではそれは大変コストがかかるし特に公教育では難しい面があるのであろう。

勿論、究極の「one to one」は親子関係なので、当面は親子の「one to one」の関係を大事にしてゆくことから始める事が基本になると思う。


②「公立校の逆襲」いい学校をつくる! は2004年に発行されている、前記の文脈からすると
「顧客のニーズに対応し始めた」中学校の取組みが紹介されている。

奇しくも著者は同中学に民間から登用された新任校長で、マーケティングの怪物企業「リクルート」出身ということである。まだ読んでいる途中であるが、公立校では今まで無かった実験的な取組みがいろいろと試行されているようである。

このような動きが全国に拡がり、時代にあった教育の場が形成されることを強く望むところである。

このような先進的な取組みをフットワーク軽く支援してゆく、あるいは自らが実践してみるという役割をNPOが担うスペースはかなりありそうである。