3カ月くらい前に「ママ、EU大統領に会ってくるわ」
という記事を書きましたが、
その後、ブログがあっという間に広がり、
1週間で15万近くのアクセスがありました。
それをコピーライターの糸井重里さんも読んでくださり、
母に興味を持ち、香川まで取材に行ってくれました。
その取材記事が「ほぼ日」という糸井事務所が運営しているサイトに
先週から全8回で連載をされています。
かなり面白いので是非読んでみてください。
http://www.1101.com/greatmama/2014-06-17.html
母の記事を読んで思ったこと。
私は20年間母の何を見ていたんだろう。
記事中で母が語っている母自身と
私の知っている母が全く違う。
「ん?あの頃母さんはそんなんだっけ?」
「そんなことしてたっけ??」
記憶が混乱する。
なんとも言えない不思議な気持ちだ。
母は弱い人だった。
おっちょこちょいで、頼りない人だった。
世間知らずで、守らなきゃいけない人だった。
可愛い人だった。
いつも「母さんはダメだな~」
そんなことを家族で言い合って笑いあっていたが、
心の中では、できる母さんが
遠くに飛んで行くのが怖かったのかもしれない。
母さんは何もできないと思いこみたかったのかもしれない。
記憶が交錯する中で幼い頃の出来事が断片的に出てくる。
ああ、思い出した。
母さんの翼をタンスに仕舞わせたのは私だ。
中学生の頃、母さんが家に外国人を呼んでくるのが
私はあまり好きではなかった。
机の下に入って拗ねたことがあった。
「家に入れないでよ!!!」と怒鳴ったこともあった。
母さんが大学の勉強をしている時、
全く協力をしなかった。
夕食を手伝ったことも、洗濯物を畳んだこともない。
むしろ「ちゃんと母親の仕事してよ」
みたいなことを言っていた気がする。
ジャパンエクスポに参加したいと相談された時、
頭ごなしに否定した。
「母さんじゃ無理だ。絶対できない」
私にとって母は「私の母」であって「尾崎美恵」ではなかった。
母も1人の人間だと理解するのに時間がかかった。
いや、本当に理解したのは私が母になってからなのかもしれない。
母は初めて原付を買ったとき、
私達が小学校にいっている間、
フェリーで島に行った。
島で原付を1人で走らせていると
「どこまでに行ける気がした」
「私は自由だ~」と思った、と。
それを聞いた時
「今でも十分自由じゃん」と
小学生の時だったか、言った気がする。
あの時、母は原付で海を超えそうな勢いだった。
だから、とても記憶に残っている。
今、自分はこんなに自由にやっているのに
母にはひどいことをいっぱい言って自由を奪った。
先日、糸井重里さんにお会いし、
この話をした際に
「子どもは誰よりも保守的なんだよね、実は」
とおっしゃっていた。
子どもは自由奔放の象徴だが、
家族のことになると超保守的になる。
納得だ。
ママを縛り付けるのは
誰よりも何よりも愛おしい子どもなのかもしれない。
母はそんな風に思ってなかったと思うけど。
今更ながら母に対して申し訳ないという想いと、
かなり自分勝手だが、
私の子どもには「ママにはママの人生がある」と
教えこむことにしよう。
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