こんな独裁的な議会運営を見せられても
怒らない国民、メディアが半分いるのです。
テロをこれで防げると
安心しているのでしょうか?
ぼくはテロリズムというのは
社会、時代の中であるいは立ち位置によって
相対的なものだと思います。
ぼくの立ち位置から見ると
アベ政権のあのやり方が
「テロ」に見えます。
しかし厳密にいうと
「テロ」が
虐げられ辱められ搾取される側からの
やむにやまれぬ暴力行為だとすれば
アベ独裁政権のやり方は
立憲民主主義体制への
「クーデター」というのが
正しい気がします。
暴力で政治体制を乗っ取ってしまう事が
「クーデター」と言うそうです。
まさに数の暴力で
立憲民主主義という体制を
乗っ取ったのです。
「クーデター」は権力を我が物にする
強引なやり方です。
対し、
「テロリズム」には
それしか方法がない追い詰められた感が
あります。
ぼくは決してテロリズムを
賞賛するものではありません。
しかしその中にあるやむにやまれぬ思いは
受け止めたいと思うのです。
啄木が「ココアのひと匙」で
伊藤博文を暗殺した安重根を思ったように、
その想像力に近づきたいと思います。
おそらく
他者の心を思う事、
自分とは違う人の心を想像する事、
少数者の、または「社会的弱者」の
その心を想像する事は
民主主義の基本なのだと思うのです。
しかし
中は見ずに多数派につき従い
上の人の心を忖度する事が
当たり前になっている人たちや政治家たちが
あまりに多いのです。
そういう人達は
民主主義が何かさえわからないし、
考えた事すらないでしょう。
最近報道される
「共謀罪」「森友、家計問題」は
政治ニュースというだけではなく、
人間のあり方について
教えてくれているように思います。
お友達や関係者には際限の無い
優遇措置をとり、
犯罪さえ隠蔽し、
そこを突かれると誤魔化す人達。
逆に自分の不利を顧みず
真実を明らかにしようとする人達。
ナアナアの記者クラブから批判されても
まともな取材をするメディアの人達。
色んな生き方を教えてもらった気がします。
どんな生き方をするかは
受け取った側次第です。
また
「政治の幅は生活の幅より狭い」
という埴谷雄高氏の言葉を思い出します。
生活とは生き方であり命です。