キドラの憂鬱と微笑 -73ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

6月24日、25日と

阿倍野区民センターで開催された

      ヒューマンドキュメンタリー映画祭 

     《阿倍野》2017

に行って来ました。

15年続いたこの映画祭も今年で終わります。

毎年8月に開催されていたのですが

阿倍野区民センターが改装されるらしく

これを機会に6月に前倒しして

映画祭自体を終了させるようです。

とても残念ですが、

最終回らしく絞られた企画でした。

会場受付のところには

メッセージボードがあり

色々な人が様々のメッセージを

書いて貼っていました。

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中にこんなメッセージがありました。

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2つ捉え方はあるでしょう。

ヒューマンドキュメンタリー映画祭に

参加している映像作家以外について

言っているか、

もしくは映画祭に参加している

映像作家について言っているかなのです。

おそらくは後者だろうと思います。

ヒューマンという言葉や

個人を見ていく事は

昔から「甘い」と先鋭的な活動家からは

冷笑されてきました。

ドキュメンタリー映画というのも

あまり人気のない

マイノリティーなもののようです。

でも今だからこそ

この映画祭で上映されるような映画をこそ

多くの人々が

見て感じて欲しいなと思います。



毎年5月に行われる

「春一番コンサート」

今は「祝」が上につきますが、

これをずっと続けている福岡風太氏は

根本にあるのは

今だに「反戦、反核、反差別」だと

言います。

中には恋愛の歌や失恋の歌や

ナオユキさんのような

スタンダップコメディもあります。

自分の経験であったり

自分が見聞きした人々のことであったり

つまり個を主張していく事が

「反戦、反核、反差別」

につながっていくというのが

根本にあると思うのです。

全体を同じ方向に向けようとする

体制の動きに対し

個を主張し、個を見ていく事が

何よりも大切だと思います。


ヒューマンドキュメンタリー映画祭も

出発点から

そうだったようです。

この映画祭の総合プロデューサーであり

リーダーである

伊勢真一監督がこの映画祭をはじめる

1年前に彼の作品の1つ「えんとこ」を

上映した後の意見で

観客の1人の男性が

「あんな人は生きていない方が良い」と

発言したそうです。

「えんとこ」は伊勢監督の大学時代の

脳性マヒの友人のアダ名で

今は寝たきりになっているが

若者達の介助を受けながら

その若者達と「えんとこ」の交流を

描いたものでした。

昨年の映画祭のプログラムで

再上映されました。

16年前男性が発言した直後

初老の婦人が立ち上がり

そんな事はない、映画を見ていれば

若者達がえんとこさんから

生き方の影響を受けているのが

わかるではないか、と主張されたそうです。

会場から拍手が湧き起こりました。

その翌年から

ヒューマンドキュメンタリー映画祭が

はじまりました。

昨年相模原でおきた施設での殺人事件は

決して

狂気の人間の起こした事件ではないのです。

16年前に発言した男性は普通の人でしょう。

しかしそこには相通ずるものが

あるのです。

ナチスの優生思想を持ち出すまでもなく

この考え方こそが戦争への第一歩なのです。

映画「えんとこ」を

反戦映画とは言いません。

でも戦争を食い止め阻止するには

個別を見つめ、個別を主張し、

その主張を認める感性が必要だと思うのです。   

えんとこと伊勢監督が再会したのは

今回のプログラムにある「奈緒ちゃん」を

えんとこと若者達が自主上映を

企画したからでした。

「奈緒ちゃん」は伊勢監督の姪ごさんで

てんかんと知的障がいを持つ

奈緒ちゃんとその家族を

8歳から20歳までを追った映画です。

そして最新作「やさしくなあに」

奈緒ちゃんと家族の35年を追っています。

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奈緒ちゃんのお母さんと伊勢監督の舞台挨拶。