キドラの憂鬱と微笑 -70ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

社会的に時代的に

無自覚に影響を受けている意識があります。

それを「エートス」というのか

「イデオロギーの諸形態」というのか

「共同幻想」「上部構造」というのか

そこはよくわかりません。

例えば死刑制度のあるわが国では

死刑に関して無自覚に当たり前の事と

認識されています。

世界的な潮流としては

死刑制度廃止の方向に向かっていると

言われています。

死刑廃止国、もしくは死刑停止国の方が

多いのです。

昨日2名の死刑囚の刑が執行されました。

将来、死刑制度は野蛮な歴史として

みなされていくでしょう。

それまでには、犯罪被害者遺族の心を

どう社会がフォローするかとか

犯罪者をどうフォローし

更正教育を施して行くかなど

課題をいくつも乗り越えなければなりません。

時代によって、社会によって

物事への認識は変わっていきます。

このことに対しぼくたちは

どう対応していけば良いのでしょうか?

自分の認識として当たり前と思っている事を

疑ってみる事。

無自覚な意識の前で一旦立ち止まり

自覚的にその意識について考える、

自分の意識に疑問を持ってみる事だと

思うのです。

それが民主主義的人間の条件では

ないでしょうか?

法務大臣だからと無自覚に

死刑執行の書類に印を押す人は

立ち止まって考えて欲しいのです。

自覚していたとしても

その自覚さえも疑って欲しいのです。

民主主義が発展し持続していくためには

民衆の中にそういう姿勢が

必要なのではないかと思うのです。

社会や時代から

無自覚に

影響を受けている意識があるならば、

言い換えるなら

無意識にしてしまう行為や思考があるなら

そこを越える指向性、姿勢が必要なのではと

思うのです。