ネット上でなされているようです。
この手の議論というのは
どちらかと言えば敬遠したくなります。
「差別する自由」があると
主張する人達がいるという事ですが、
議論としては
不毛なものにならざるを得ません。
何故なら
この場合の「自由」というのは
「人権意識」と表裏一体で
人類が
歴史的に勝ち取ってきたものだからです。
「自由」の裏側には
「人権意識」が裏打ちされていて
「人権意識」の伴わない
「自由」などあり得ないのです。
「差別」という概念と真逆の
「人権」という概念だから
「自由」と結び付きます。
しかし「差別」と「自由」とは
発音する事はできても
決して結びつくことはできません。
例えて言えば、
「有彩色のモノクロ写真」とか
「空飛ぶカマボコ」とか
そういう類の言い方です。
荒唐無稽なものでしかないのです。
ヘイトスピーチと表現の自由の問題なども
同じ事です。
抑圧される側が、差別される側が
長い歴史の中で
勝ち取ってきたものが
表現の自由なのです。
それを抑圧する側、差別する側から
表現の自由などと言うのはおかしいのです。
同様に差別する自由など
絶対に存在しないのです。