祝春一番コンサート2018その2 | キドラの憂鬱と微笑

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

ハルイチが始まった頃

ぼくは北海道にいて

72年頃には音楽雑誌で

ハルイチの事を知っていたように思います。

北海道から

一歩も出た事がなかったぼくには

遠い地の出来事でした。

76年に京都に出てきましたが

何故かハルイチに出かけていくことは

ありませんでした。

ぼくが1日は見に行くようになったのは

2010年からです。

生きていたあべのぼるさんが出ていた

最後の年でした。

毎年誰かが亡くなっていきます。

今年のはじめに風太さんの奥様が

亡くなられたそうです。

自分の出演の時中川五郎さんが言い

思わず涙を流し声を詰まらせました。

以前のハルイチの時にも書いていますが

ハルイチは

死者をなだめるためのものではなく

死者を叩き起こして

一緒に反戦・反核・反差別を戦うぞ

という勝鬨というか祭典だと

感じています。

観客やスタッフにはそんなセンチメンタルは

ないのかもしれません。

でも、大塚まさじさん、金子マリさん、

中川五郎さん、佐久間順平さん、

豊田勇造さんなどなど

センチメンタルではないが

死者達と対話しながらの

ステージのように感じます。

持って行き場のないエネルギーが

ぶつかり合っていた

70年代のハルイチとは

今は違うのでしょう。

若い層も出てきて、

いい感じの世代コラボにはなっていました。

ただこのハルイチは

福岡風太で成り立っているのだと

思います。

風太さんがもしいなくなれば、

音楽イベントとしては

続くかもしれませんが

反戦・反核・反差別とくくれるひとが

いなくなるような気がします。