人権について | キドラの憂鬱と微笑

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キチンと学習したわけではありません。

だからこそ人権について

知りたいと思います。

先月30日に

国連人権高等弁務官事務所は

表現の自由に関する特別報告者、

デービッド・ケイ氏がまとめた

対日調査報告書を公表しました。

詳細は略しますが、

これに対し日本政府は

「指摘は事実にもとずいていない」などと

反論。

デービッド・ケイ氏は6/2

それについてもさらに反論

「伝聞に基づくものではなく、

   裏付けを取るなど事実を集めて書いた」

としています。

また日本政府の

「あくまで個人の見解で

   国連の見解ではない」

という表現に対しても

「人権理事会から

    調査の権限を与えられている。

    敬意を受けるに値するもので、

    少なくとも報告の内容は

    考慮されるべきだ」

とコメントされています。

ぼくにはこの

「少なくとも報告の内容は考慮されるべき」

とデービッド・ケイ氏に言わせてしまう事が

人権について考えられない

現政権の状態を表しているように見えます。

仮に個人の意見でも真摯に聞く姿勢が

人権意識であり

民主主義的な態度というものだと思います。

ぼくは憲法学者でも法律家でもないので

直感で思うのですが

日本政府が示している態度は

まず国連という組織なら聞く耳あるが

個人の意見は聞かないとする事で

意に反する見解は聞かないとする

態度です。

少数派つまりマイノリティーの意見にも

耳を傾ける事が

本来あるべき人権意識であり

民主主義的意識と思うのです。

強行採決を当たり前のようにしていますが

数の理論で押しているだけです。

多数派が少数派を従わせる事は

民主主義でもないし人権意識でも

ないと思うのです。

民主主義的な意識も

人権意識もおそらく固定したものではなく

民衆の中で育まれ成長するものでは

ないでしょうか?

日本は

戦後の歴史の途中でそれをやめてしまった

ように見えます。

経済成長には異常な執着を見せましたが。

そしてこのアンバランスが

ここ最近顕著に見られる

国連やamnestyなどから寄せられる

批判や警告に繋がっているように思います。

表現の自由についての調査が

今回のデービッド・ケイ氏の仕事ですが

報告書は

従軍慰安婦問題や

沖縄の博治さんの不当逮捕にも

言及されています。

「安保法案」や「共謀罪」

「放送法」についても

語られています。

日本政府は耳を傾ける気はないょようです。