という事に関しては
ぼくにはわかりません。
高校時代は
公立高校でたまたま同じ高校でしたが
受け持たれる事はありませんでした。
当然重ならないような
配慮があったのだと思います。
他の教師からは信頼は持たれていたように
ぼくは感じていました。
父なりに純粋に生徒の事は
思っていたように見受けられます。
68~69年の全国的な学生運動の頃
高校にもそれは広がり
北海道の一高校である
ぼくの母校にも
その波は押し寄せて来ていました。
その頃はぼくはまだ中学生だったので
内情は全くわからないのですが
当時は詰襟の学生服の制服の
廃止運動がありました。
多くの生徒が学生帽子を
燃やして抗議したという事件があり
全国紙で報道されました。
その頃家で夜中に寝床に座り込み
1人で考え込む父を
母が見たとぼくに報告していました。
おそらく生徒らに糾弾されたり
していたのだと思います。
実質「制服制度」が廃止されたのは
ぼくが入学して2年生の時
全校集会で廃止が可決されるまで
待たなければなりませんでした。
その意味では
ある程度の高校生の自治を
当時は認めていたのだと思います。
生徒の側からいうと
自治権を勝ち取ったのだと言えるでしょう。
前後はぼくはわからないのですが
父は囲碁部の顧問もしており
部員の1人が全道大会で優勝したか
全国大会で好成績だったか
ぼくは覚えてはいません。
ただ
その生徒の母親は
市場で店をしていたのですが
賞状を生徒とともに見せに行き
父は市場中に
賞状を見せて回ったという事は
教えてもらいました。
その生徒は後に地元で
碁会所を経営します。
父は晩年「脳髄膜腫」を患います。
癲癇のような症状がでて
意識がなくなる発作が出るのですが
最初にその発作が出たのが
その碁会所でした。
縁を感じます。