「ペコロスの母に会いに行く」再鑑賞 | キドラの憂鬱と微笑

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

認知症ケア事例発表会では

そこそこ評価を頂いて

審査員特別賞みたいなのを

貰いました。

聞き書きをタダ

日めくりカレンダーに

しただけではありますが、

これが良かったみたいです。

内容はここでは差し控えます。


さて

昨年の映画ですが

「ペコロスの母に会いに行く」の

DVDをレンタルして再度見ました。

原作 岡野雄一

   「ペコロスの母に会いに行く」など

     (西日本新聞社刊)

キャスト  岩松了 (ゆういち)

             赤木春恵 (みつえ)

             原田貴和子 (みつえ若い頃)

             加瀬亮 (みつえの夫)

             原田知世(みつえの親友)

監督 森崎東

初見時よりかなり深く楽しく

見れました。

最初から面白く見ていましたし

原作のマンガも購入しました。

その頃から

ファンタジィーを感じていましたが

今回はそれを確信しました。

戦前から長崎の原爆、

そして戦後の暮らしが

現代とフラッシュバックします。

その過去と現在が

長崎のランタン祭で

融合していきます。

「早春賦」を唄う合唱部、

それを少女のみつえと親友が

窓から覗いて聞いています。

認知症の進行したみつえは

長崎のランタン祭の中で

橋に立ち「早春賦」を歌います。

原爆の後遺症で亡くなった親友が

アル中で神経症のゆういちの父

みつえの夫が

おそらく幼くして亡くなった

みつえの妹が(だと思うのだけど)

寄り添います。

ランタンの沢山の灯りを背景に

みつえの頭の中で

過去が融合します。

まさにファンタジィーなのです。

認知症自体に

そういうファンタジィー性が

あるように思います。

認知症には中核症状として

記憶障害があります。

手指の隙間から落ちる砂のように

記憶が落ちていきます。

でも表現はできなくても

最後まで決してなくならない

記憶があるのだと思います。

認知症の中の記憶こそが

「ペコロスの母に会いに行く」の

根幹ではないでしょうか?

かなりの重度認知症の方にも

残されている記憶があるように

思います。

ご自分で表現できないので

周りの介護者もスルーしてしまう

事が多いのだと思います。

医学的にどうなのかは分かりません。

身体に染み付いた記憶、

介護者はそこにこそ

耳を傾けるべきではないでしょうか?