同じ地元でずーっと育ってきて
多少住む場所がずれたとしても
大正区と阿倍野区とか
そのぐらいなら、まして大正区は
実家なのだから
常にその場所を見る事ができます。
そんな時、
風景はどんな縮尺で
見えるのでしょう?
僕が余市にいたのは4~8才の頃です。
家の前の通りは
大通りのように広く感じていました。
22才の夏
その頃付き合っていた人と
その町に行きました。
14年振りに見たその通りは
とても狭い通りでした。
その時思った事は
人は決して目だけで
物を見ているんじゃない。
身体を通して物をみているのだ。
ということでした。
自分の身体が小さい時は
風景は大きく道幅は広く見えます。
成長すると道幅は狭くなります。
見ている主体が一緒でも
主体の大きさで見え方が違います。
つまり人は身体でも見ていると
いう事です。
視野の中に身体が入るなら
分かるのですが
記憶の中の道幅には
自分の姿はありません。
つまり子どもの頃見た風景には
自分の大きさが
頭の中に織り込まれていて
それで風景を見ているのです。
歩幅とか手を広げた
右指から左指の距離とか
背の高さとか
そんなものが子供の中には
既にあり
周りの風景を見ているのです。
人は見るという行為をしている時
いかにも客観なのですが
必ず主観が潜んでくるのです。