お義父さんのお墓参りに
大正区にある
奥さんの実家で待ち合わせ。
京橋駅へ向かう途中から
マイクを通した読経の
声が聞こえてきます。
何処かと探すと
京橋駅南口で
京橋駅空襲被災者慰霊祭
というのが行われていました。
8月14日という
日本の敗戦の前日の
空襲でした。
大阪大空襲というのは
8回あったそうです。
その最後が京橋駅空襲でした。
城東線(現在の環状線)の高架の下に
片町線(現在の東西線)があり
人々は下の片町線ホームに
避難しました。
1t爆弾が上のホームを突き破り
下の片町線ホームを直撃しました。
大阪城には砲兵工廠があり
そこがターゲットで
大阪城にも着弾しています。
名前のわかっている犠牲者が
210名以上。
身元不明が500~600名、
実数は不明です。
お義父さんから当時の話を
聞いた事があります。
累々と横たわる
死者たちを見ながら
四條畷まで歩いたと言います。
被災者の遺族達は
国を相手に訴訟を起こしました。
旧軍人、軍属には援護制度が
ありながら民間の被災者には
何らの補償がないことが
法の下の平等に反するという
訴訟でした。
原告側は大阪地裁で却下され
上告しています。
大正ではお義母さんが
大正区の空襲の話をしてくれました。
大正区の空襲は
6月1日の第2回大阪大空襲でした。
目の前で焼夷弾を見たと
話されていました。
