こんにちは、ヒスペディアです。今回もアッシリアについて扱いたいと思います。昨日も伝えましたとおり、オリエントを統一したアッシリアの知名度は『聖書』に記載があることから非常に高いのですが、悪役という位置づけが強いです。教科書にはこんな記載があります。

 しかしこの大帝国も、重税と圧政によって服属民の抵抗をまねき、前612年には崩壊して、オリエント世界にはエジプト、小アジアのリディア、新バビロニア(カルデア)、イラン高原のメディアの4王国が分立することになった。

 この記述は『旧約聖書』通りの内容です。北のイスラエル王国の文化を消滅させるまで服属民のヘブライ人への圧政を行ったことを記載しています。それぐらい『旧約聖書』は重要なんですね。しかし、19世紀半ばに首都ニネヴェが発見されてからも、新しい発見が次々とありました。

 最大の発見は、同じく都市ニネヴェから発見された、アッシュル=バニパル王の大図書館です。王国の記録、学問の文書、法令、手紙、神話など当時としてはオリエント全体に関わるあらゆる情報が集積されていました。アッシリアはアッカド語を用いていたため、それより前に、ベヒストゥン碑文を解読したことから、研究者は大図書館の史料を読むことが叶でした。「アッシリア学」という名前を名前を不動のものとしたのは、この大図書館の辞用法がメソポタミア研究において欠かせなかったからです。

 アッシリア王の勇壮な狩りの様子を描いた石製の浮き彫り。アッシリアの首都ニネヴェから出土

 「アッシュル=バニパル王の狩猟」の写真を示して、教科書がそう説明しました。アッシュル=バニパルはアッシリアの最盛期を築いた王なのです。大図書館の存在は国の強さを意味します。全オリエントに関するありとあらゆる情報を一箇所に集積したのですから。アッシリアの支配がいたるところに行き届いていたことを意味します。

 ではアッシリアはどのような支配を行ったのでしょうか。ヘブライ人が目の敵にしたその手法について次回は見ていきます。