こんにちは、ヒスペディアです。ヘブライ編が長く続いております。本日は「バビロン捕囚」について扱いたいと思います。

バビロン捕囚とは新バビロニア王国によって行われた強制移住政策です。教科書では記載されていませんが、実は「第一次」と「第二次」の二度行われました。新バビロニアにしろ、イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアにしろ、征服した民族の基盤を壊し、自国を磐石としたのです。多民族国家が誕生して間もない頃は、統治システムも不完全であり、抑圧的なものになっていました。ちなみ、統治システムがある程度完成するのは、紀元前5世紀、ペルシア帝国のダレイオス1世の治世です。

ヘブライ人の別称、ユダヤ人の語源はユダ王国にあります。つまり、ユダ王国の子孫がユダヤ人なのです。ということは北のイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、子孫は残っていないことになります。おなじ強制移住でも、北と南、アッシリアと新バビロニアでは違いがあるのです。ユダ王国とイスラエル王国の滅ぼされ方にどんな違いがあるのでしょうか。

アッシリアがとった強制移住は「一斉分散」式です。一箇所に固まっていたヘブライ人をアッシリア領の全般に分散させるという方式です。また、ヘブライ人がいなくなった空白の旧イスラエル王国領には他民族を移住させるのです。

一方で、新バビロニア王国はアッシリアほど徹底しませんでした。ヘブライ人、なかでも支配階級の人々を移住させましたが、分散はさせずに、旧ユダ王国領に他民族を移住させることはしませんでした。つまり、支配階級の人々は分散されることなく生活することができたのです。支配階級の人々はさらに民族意識を強くし、ヘブライ人の精神的支柱である預言者の逸話を集めました。旧約聖書にある預言者の伝はバビロン捕囚をきっかけに集められたのです。