そこでもし存在がかかる客観ではなくして正にその反対である処の主観[#「主観」に傍点]として理解されるならば、そのような解釈は吾々の空間概念と分析と一致することは出来ないであろう(客観としての存在は云わば物体的[#「物体的」に傍点]存在である、之に対して主観としての存在は云わば人間的[#「人間的」に傍点]存在である。両者の対立は所謂主客の対立ではない)。そしてこのような場合を吾々はハイデッガーの空間理論に於て見出す*(この立場に於て始めて空間は空間性[#「空間性」に傍点]を用いて説明されることも出来る。之に反して吾々にとっては空間は空間性から訣別しなければならなかった。――前を見よ)。
「空間が主観の内にあるのでもなく、又主観が世界を空間の内にあるかのように[#「かのように」に傍点]見做すのでもない。そうではなくして、存在論的に好く理解されたる主観[#「主観」に傍点]、即ち存在、が空間的なのである。」(Heidegger, Sein und Zeit, S. 111)
最後に二つの課題が残る。第一、このようにして得られた常識的[#「常識的」に傍点]空間概念を基礎[#「基礎」に傍点]概念として、上層概念である処の専門的[#「専門的」に傍点]空間諸概念の分析――解釈を行なうこと。第二、空間概念を之と離すことの出来ないような他の根本概念――例えば物質[#「物質」に傍点]、自然[#「自然」に傍点]など――との交 渉に於て分析すること。この二つを吾々は他の機会に譲らなければならない。