日テレプラスで放送が始まった「過保護のカホコ」。

私の大好きな高畑充希さんが主演のドラマ。

彼女はコメディもシリアスなものもいけるし、歌唱力も高いので、ミュージカルや舞台もマルチにこなせる女優さん。

そんな彼女が主演の「過保護のカホコ」。

私は普段、地上波でドラマは観ません。

なぜなら、就寝時間が早いので、ドラマ放送時間にはすでに寝ているからです。

でも、昼間にやっている再放送なら、興味のあるものは観ます。

(この間の日曜日は日テレプラスで一気見放送で「美食探偵 明智五郎」を観ました。)

そんな中、今日から始まった日テレプラスの「過保護のカホコ」。

これを見てあたら、ままが仕事しながら・・・

「ひめにそっくり!(笑)」

と。

そう、私もメンタルの先生や担当看護師さんに言われていたのですが、両親が発達障害だとわからなくて育てていたのですが、明らかに妹よりも私自身が自分の危機管理ができていなかったので、先手先手で両親が私のリスク管理を常にしていたのです。

だから、世の中のことを何も知らずに育ちました。

一人でお留守番もしたことがなかったので、大人になって、一人でままと暮らすマンションで過ごすトレーニングも必要となりました。

そのトレーニングも数年間に及び、最初の1~2年はパニックの連続でした。

そして、妹には大学入学と同時に門限がなくなりましたが、私には門限22時が設けられていて、自宅から1時間半くらいかかる大学だったので、サークルの飲み会も一次会が盛り上がる頃に帰る羽目に。。。

(サークルはやはり人間関係が苦手で大学二年生の時にやめました。)

しかも、22時近くになると、何度も携帯にメールや電話攻撃が!!!

毎朝、駅まで車で送ってもらっていたし、夜も駅まで迎えに来てもらっていました。

(家から最寄の駅までは徒歩約10分くらいです。実は、今でも帰省すると駅まで迎に来てくれて、帰りはおとんがお酒を飲んでいるので、タクシー代をくれます。)

そして、両親が毎晩楽しみにしている晩酌は私の迎えが終わってからだってのだす。

「一人で帰れるから、晩酌してていいよ。迎えに来なくていいよ。」と言っても、「危ないから、迎に行くよ。」と言われ、大学四年間そんな感じでした。

バイトで高級中華料理店で働くことが決まると、そこはチャイナドレスを着る職場だったので、お店に行って、ひめのチャイナドレス姿を写真におさめたいわ~とおかんは言っていたくらいです。

恥ずかしいから、やめてーーー!!!と心の中で思いました。

そして、社会人になると、晩酌をするようになったのですが、その代わり「駅からタクシーで帰ってきなさい」と言われました。

(その時もタクシー代をくれました。お給料は梁さんが管理していて、お小遣い制でした。ちなみに、妹は違います。)

ちなみに、ワンメーターです。

そして、朝は学生時代と同じく車で送ってくれていました。

さらに、就活では、総合職を狙っていた私に、おかんは、「ひめには無理よ。とても大変よ。病気もあるんだし。一般職にしなさい。」と言われました。

まぁ、そもそも、後にメンタルの先生や担当看護師さんに会社という組織の中で働くこと事態が不可能と言われましたが(苦笑)

彼氏ができても、おかんは色々と難癖をつけてきて、「親が反対する相手とは上手くいかないわよ。おばちゃん(おかんの妹)を見て、わからるでしょう?!」と言われました。

(叔母は反対された上での結婚で、40歳半ばに離婚しています。その後、叔母には彼氏ができて、ハッピーライフです☆)

お小遣いも高校生までもらっていましたが、基本的に私は友だちがいなくて遊ぶことがなく、使う機会がなかったので、貯まる一方。

洋服も月に一回のファッション雑誌も学校で必要なものも全て親が買ってくれていました。

親戚の家に行っても、お小遣いをもらっていたりしました。

もうね、発達障害だとわからなかったから仕方ないのですが、過保護な上に、リスク回避までしてくれていて、そのまま成長してしまってのので、それはそれは発達障害のトレーニングが大変だったのですょ。

(大人なのに、子供の発達障害と同じレベルだったのです。)

しかも、仕事をできないと言われて辞めさせられたのは、25歳。

その後、持病持ちでもできる在宅ワークを考えて翻訳学校に3年間通い、1年間翻訳会社で働きましたが、そこはメンタルクリニックの近くだから許可が出ただけ。

毎日、解離して、歩行障害になり、仕事後にメンタルクリニックに行って、点滴や注射をしていたし、週5は働けませんでした。

(膠原病もあったので。。。)

そして、28歳くらいから仕送りをしてもらうようになりました。


そんな中、「過保護のカホコ」を観たままが「ひめはカホコにそっくり」と言うわけです。

人を疑うことも知らないから、すぐに騙されるし、思い立ったら一直線!

騙されて危ない目にあったこともあります。

大人になってからね。

だから、担当看護師さんは、デイナイトケア中に私が一人でお散歩に1時間行くときは本当に心配しているのです。

メンタルクリニックが新宿にあることも心配を増長させる要因だとは思いますが。。。

だから、お散歩の時には、どこに行って、何時に戻るかを伝えてから行くのがお約束でした。

そして、混乱したら、すぐに電話!

少しでも、時間が遅くなると「ひめさん、どこに行ってたの?!心配したよ~」と言われるのです。

でも、私のお散歩コースは決まっていて、いつも京王モールと小田急エースの地下街なので、看護師さんは、暫くすると「(自閉症スペクトラムだから)今日もいつものお散歩コースかな?!」と聞いてくれるようになってからは、安心したようです。

おやつタイムもいつも同じだしね。

(担当看護師さんが「ひめさん、そろそろ🕒タイムでしょ~」と言われて、いつも同じものを食べます。)


あと、「過保護のカホコ」と同じ場面があったのは・・・

実家にいた時に、夜に両親が私と妹の幼少期のビデオや写真を見ながら晩酌すること!

家を新築してからはなくなりましたが、私が小学生高学年の頃まではそんな感じでした。

みんなの家もそんな感じだと思っていましたが、社会人になって、親が唯一認めた彼が「お前の家は過保護で、お前は世間知らずだよな~。ほんと、頭はきれるのに、以外と天然だしな。まぁ、そこが面白運だけどな~。そして、人を信じすぎる!悪いやつに引っ掛かりそうでひやひやするよ!」と言われました。

当時はわからなかったけれど、メンタルクリニックに通って、発達障害が発覚して、トレーニングしていくうちに、段々わかってきました。

たぶん、そのくらい、わたしが妹より危なっかしい存在であったからでしょう。

そして、不器用な私は新しく買ったスニーカー靴紐も大人になってもおとんに最初は通してもらっていました。

不器用でできないのです。

これは、今はままがやってくれています。


ではでは!

「過保護のカホコ」、面白いですょ。

明日も楽しみだな~。

1日二話放送されるみたいです。


ちなみに、小学生の時、ふらふらしてなかなか帰らなかった私を心配して、おかんが学校に電話来たことが多々あります。

その度に、先生が校内中、私を探して、「お母さんが心配して電話が来ましたよ」とか、おとんが迎えに来たとか、しょっちゅうありました。

一人で下校途中に何かを見つけて興味を持つと、夢中になりすぎて、時間を忘れてしまうのです。