ご質問のお答え:病名が混乱することってありますか? | 婦人科備忘録

婦人科備忘録

ある婦人科医の独り言です

かつて、のりピーが白い薬を愛用していることが

その当日ほぼすべての新聞でトップを飾られた日

日経新聞だけは

FRBの議長交代!だったので

それ以来、日経新聞を愛読しています。

ちなみに、その日の西スポは

安定のホークスネタだった。

ありがとう、西スポ。君のこと忘れない。

 

定番ではあるが、話がそれた。

 

日経新聞で見かけた記事で

ある車の営業ウーマンの話が掲載されていた。

月に2台契約が取れればいい方である高級車ベンツを

40台も売りさばいていたという伝説の彼女

「車が動かなくなった時、

お客様は1000万円の車が壊れてしまった、と思う。

でも私たちはプロだから、その状況から

きっとあの1800円の部品が壊れた、と分かってしまう。

1000万円と1800円の熱量の差

それがお客様からのクレームに繋がるのです。」

・・・・深い。深すぎて深淵。

凄腕の彼女は今、

どこかの会社の偉い人になっているらしい。

さもありなん。

 

今日の話は、それととてもよく似ております。

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Q.『手術前日に突然病名が

  変更されることはあるのでしょうか?』


 現時点での診断名は子宮内膜異型増殖症で、

同意書の病名は子宮体がんの疑いでした。

それが、入院治療計画書の病名には

子宮筋腫と書かれており、

サインをしている途中で病名が

異なることに気づきました。
私には手術が必要な筋腫はありません。
病棟の看護師さん達も私が子宮筋腫で

手術をすると思っていました。
同意書と問診票の病名と入院治療計画書の病名が

異なることに誰も気づいてくれませんでした。
今は不安と不信の気持ちでいっぱいです。
もう、治療も検査も怖くてしたくありません。
このような話はよくある話だと思いたくないけれど、

実際はどうなのでしょうか?

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お嘆きはとてもよくわかる。

人間とは「尊厳を冒される」ことが一番つらいし

怒りを覚えることだから。

マザーテレサがいみじくも

「死ぬことは恐れるに足りない。

 誰でも一度は死ぬのだから。

 ただ、みじめに死ぬことだけは

 許されないことなのです」

と言ったように、

このことに関しては、関係者一同、

土下座案件なのであるが

それはひとまず横に置いておいて、

ご本人には落ち着いて聞いてほしい。

 

お叱りを承知で申し述べれば、

あなたの問題点は

「突然病名が変更された」ことではなく

「同意書と入院治療計画書に記載されている

 病名が違った」ことなのです。

単純な事務作業ミスなだけなんじゃないかなと

このギョーカイが長い私は思う。

 

私は病院の内側から

この問題を見ているのでこう思いつく。

「同意書と入院治療計画書を記載した人間が

 違う人なんだな。

 きっと同意書は執刀医もしくは外来主治医

 入院治療計画書は担当させられた

 若い医師なんだろーなー」と。

ご質問の中に、執刀医は偉い先生なのにと

恨み言も書いてあった。

このギョーカイ、偉くなればなるほど、

いわゆる雑務はしなくなる傾向にあり

私なぞいまだに自分で何もかも手続きしているが(泣)

偉い先生が偉くなりすぎて雑務はすべて若い担当医師に丸投げ、

なんてことも横行しております。

まあ、そうしないと偉い先生は

他の医者に教えないといけないし、

なんならよそに行って会議に出たり

手術を教えたりしに行かないといけないので

忙しいからです。

 

よって、あなたを執刀するはずの医者は

間違いなくあなたの病名を把握していたと思う。

 

ただ、あなたを取り巻く医療スタッフは

あなたの手術や治療があまりにも日常ちゃめし事すぎて

あなたが「がんかもしれない」と言われて不安で怯え

心配で夜も寝られず、

なんならちょっとばかり体調を崩して

普通の精神状態ではないことを

ちっとも理解はしていなかったでしょう。

なので、「ここの病名が違います!」

とあなたが心から叫んで、悲しみ、怒り狂った時

おそらく「1800円の部品だったのになー」

的な対応をしてやしないだろうか。

辛いよね、苦しいよね、悲しいよね

がんばろうね、大丈夫だよって

誰か一人でも寄り添っていれば、

入院治療計画書の病名が違っていても

あのう、ここ間違ってますよ

書き換えてもらっていいですか?

という落ち着いた対応で終わっただろうと思うと、

残念でならない。

 

あなたの病気は手術ですっかり良くなるタイプのもので

ここで治療をやめても何の得にもならない。

適切な治療を受ければ、すべての無礼もつらさも

ちょっと苦い、セピアな思い出で終わる。

そがれた気持ちを立て直して

手術に立ち向かうようになるまで時間がいる、

というなら時間を置いたらいいと思うが

ぜひ、来年も再来年も元気で笑顔でいるために

どこでもいいので手術を受けてほしいと切に願う。