婦人科便り② 産婦人科医になったわけ | 婦人科備忘録

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ある婦人科医の独り言です

こんにちは、まるぽこうさぎ。です。

 

 今でこそ「生まれながらの産婦人科医」みたいな顔をしていますが(知らんがな)、

実は「うっかり」産婦人科に入局してしまった経歴の持ち主です。

20数年ほど前の専門選択は、医学生からいきなりどこかの科に属さねばならず、

裏事情も知らないまま部活を選ぶノリで行われておりました。

私などゆる~い学生は、「どこか楽なところ・・」と

心の底で思いながら選ぶわけですが、

はっきり言ってどこの科も

そんなやる気のない学生なんて要らないわけですよ。

 

最初は麻酔科医になりたくて、医局長に挨拶に行ったのですが、

ピンクのジャケットにピンクのミニスカートという、やる気のなさを感づかれたのか

「うちには女医は要らない、考え直せ」

と言われ、しょぼくれて歩いていたら、

産婦人科の医局の前を通りかかり、そこに同級生がいました。

彼が

 「あれ~。どうしたの~。ぼくね~、産婦人科に入るんだけど、今からお祝いの飲み会があるんだよね~。一緒にいかな~い(いや本当に間延びした話し方をするんだ、彼は)」

と誘ってくれたので、ごはんだけでも、と一緒に行ってしまい、・・・・そのまま産婦人科医になりました(実話)。

 力強い根拠も信念も何もなく入局してしまった私は、

医者になって最初の2年、毎日が憂鬱で辛いものでした。

内診してもエコー検査をしてもよく分からないので指導医の先生に頼りきりですし、

下剤ひとつ出すのもおっかなびっくりで、手練れの看護師さんにはしばかれるし、

ひとっつもいいことありません。

昨今、ブラック企業がやり玉に上がっていますが医局制度なんて本当に黒光りしてつやつやしていますからね。

学会のお手伝いなんて手弁当で当たり前だし、当直料なんて研修医には出ないし、

飲み会芸出し要員としてしか扱われません。

時々医局費という上納金を支払わねばなりませんし、どこかの非合法で規制されている団体と近いものがあります。

 

 でも、「石の上にも3年」というではありませんか。我慢しているうちに自分にできることが増えていき、

自分にできることが増えるほどやりがいが出てきました。

ドラマ・コウノトリほどではありませんが、医療の現場にはそれなりにドラマがあります。

よく患者さんから退院のお礼に、とお手紙をいただくのですが、それがもう、泣ける。

現場の最前線ではいいことばかりではありません。

うまくいかないときや辛い選択をすることもあります。

褒められたいわけではないけれど、誰かに「よく頑張ったね」と頭をなでられたいことがあるのですね。

仕事で辛かったなーと思うときに患者さんからのお手紙を読み返します。

 印象深かったお手紙の中に、「3匹のこぶた」というのがあります。

 H3病院では分娩の取り扱いをしておりませんが、以前勤務していた病院ではお産も扱っていました。

私が担当した患者さんで、3人目を妊娠した、という方がいらっしゃって、

初めての外来の時ものすごく物憂げなお顔をされていたんですよね。

そのときにはだいぶんベテランになっていましたので、「もしかして望まない妊娠だったのかな~」と察してはいました。

上のお子さんお二人がものすごく元気な男の子で、働くお母さんだったため、これ以上負荷がかかるのはしんどいなあと思っているのじゃないか、そのうち「今回は諦めます」というのじゃないかと身構えていたんですが、

口数は極端に少ないもののそのまま妊娠を継続され、

地元でお産をされるというので紹介状を書いてそこでの健診は終了としていました。

 

 しばらく経って、長い長いお手紙がその方から届きました。

 3人目のお子さんの出産報告と私への感謝の気持ちを綴ったお手紙です。

何も感謝されるようなことは覚えていなかったので、びっくりしていると彼女は

「実は子育てが大変で、仕事の両立も悩んでおり、堕ろすつもりで受診をしました。

でも先生が三匹のこぶたは末のこぶたが一番親孝行ですからね、とおっしゃったので思い切って産むことを決断しました。

3番目は女の子で、ものすごくかわいく、本当に産んで良かったです。」という内容でした。

 

 「3匹のこぶた」・・・・何の気なしにお話ししたことが患者さんの人生や赤ちゃんのこれからを左右してしまった。ビビる。

彼女の可愛い赤ちゃんが、もしかして世界を変える偉い人になったら

私はその彼女の人生の選択に関わったことになります。

 

現場はそんなドラマの連続です。

 

さて、子宮全摘のその後ですが、

忘れっぽい方なので痛みもなくなってくると時々しか思い出さなくなってきました。

何か弊害があるかと言われれば、娘の生理用ナプキンを買うのを忘れてしまう、

という・・・喉元過ぎれば熱さを忘るる、とはこのことか。

 でも、時々赤ちゃんやちっちゃい子を見ると、

年齢はともかく自分ではもう授かれないのだなあという寂しさはあります。

よく私は患者さんたちに「産めないというのと産まないというのは意味が違う」

と言ってきたのですが、まさにそれを実感しています。

 

自由には孤独がつきもの。毎月の流血沙汰から開放されるには、

ちっちゃい子を見て切なくなる孤独とも向き合わねばならないのかもしれません。