オンラインヨガ

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相﨑貴子です。

 

皆様、新年あけましておめでとうございます。

 

さて、2023年がスタートしました、🎍

 

今年は、昨年の2022年で起こった世界的状況が、よりリアルに深刻に、私達の生活に影響を及ぼし、

「残こすものと捨てるもの」を判別、選別していく時代の始まりになるかと予見します。

 

また、並行して多極化の時代が始まり、様々なコンテンツから多くの情報を、ご自身で処理していくことが必要になるでしょう。

 

「長い物には巻かれろ」といった、集団的圧力は「古臭いもの」として認識され、

ご自身で、様々な出来事への判断と識別をおこなう、人によっては、多極化の時代の始まりを、ストレス、負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 

2023年は、狭い世界から、拡大した世界へ ☺

 

デジタルの世界をご自身でもっと活用して、もっと自由に、そして軽やかに拡大して、

多方面での人達とコミュニケーションを図ることへの「Version up=新次元」へ、ほぼ強制的に移行されていくでしょう。

 

さて、このブログでの「本当にあった不思議な話シリーズ」、

2023年、元旦に相応しい④回目は、「伊勢神宮、外宮」

 

多分、2019年頃だったと思うのですが、

起業するずっと前から、私が慣行している、毎年、2月4日以降に「三重県の伊勢の二見輿玉神宮」「龍宮神社」「伊勢神宮、内宮」「伊勢神宮、外宮」4つの神宮を参拝した。

 

2019年のこの日は、20時~スタジオハーブでのヨガクラスがあった為、体力を温蔵しておこうと思い、

普段は参拝しない、「皇大神宮別宮 月讀宮(つきよみのみや)」に寄り、「伊勢神宮、外宮」の参拝を見送ることにした。

 

「伊勢神宮、内宮」を参拝した方はご存じかと思いますが、境内がすごく広くので、慣例にしている4つの神宮を全部歩くと、疲れて夜のヨガクラスのパフォーマンスに響くと思ったから、

そこで、「皇大神宮別宮 月讀宮(つきよみのみや)」の境内は小さいので、伊勢神宮、外宮の代わりに

月讀宮(つきよみのみや)に参拝することにした。

 

「皇大神宮別宮 月讀宮(つきよみのみや)」は、私が思うところ「他の神宮とは、まったく氣が違う場」に感じます。場所ではなく「場(ば、地場)」、神域性の高い「場=聖域」であると思います。

 

月讀宮は、「月読荒御魂宮」「月読宮」「伊佐奈岐宮」「伊佐奈弥宮」の四別宮が、「帳(とばり)」がなく横に並び、月讀宮(和御魂)と、月読荒御魂宮を守るように、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)が鎮座しています。

 

まるで「月は、夜(闇)を支配し、太陽(陽)と月(陰)との境に神剣が真っ直ぐに突き刺さっている」といった様子で、「神秘性と静けさ」を感じるのです。

 

そんな「月の神秘性」を感じながら、4つの宮に参拝していたところ、伊佐奈岐宮のお賽銭箱にお金を入れようと前鏡みになった瞬間、お賽銭箱に自分の頭を突っ込むくらいの人生で「一番酷い」に値する「大転倒」をしたのです。

 

びっくりして起き上がったら、目の前に「伊佐奈岐宮」と・・・・

 

「すみません。私、何かしましたでしょうか?」と意識の中で尋ねた。

 

私は、きっと、厚底ブーツのせいに違いないと思い、車に乗り込み帰路に就いた。

 

そして、いつものように高速道路の入り口を探した。今回は、旦那さんが一緒に来ていたため、運転をお願いしていた。

 

ところが、いつもスムーズに高速道路の入り口に行けるのに、「行けない」のである。

なぜか、ぐるぐると回り続けて,「伊勢神宮、外宮」の方向にいくのである。

 

そのうち、車の中で大喧嘩になった。

旦那さんが大きな溜息をついて、「もうさ、外宮によって行けばいいんじゃないの」と・・・

 

私も渋々、「そうする・・・・」と、

 

もう一度言っておきますが、この日の夜にヨガクラスがあったので、体力を温存したく

毎年慣行している「伊勢神宮 外宮」を見送ることに・・・・くどくてすみません(💦)

 

 

そして、「伊勢神宮、外宮」の駐車場に車をとめて、鳥居をくぐった。

外宮の「氣」もまた「内宮」とは、まったく違う。

 

「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」が祀られ、別宮は、「多賀宮」「土宮」「風宮」、

まさに、私たちの命を繋ぐ稲作の豊作(豊穣)の為に必要な「土」と「風」、

 

私は、外宮の森林の清々しさに「やっぱり、来てよかった。」と思いました。

外宮の柔らかい大地の大きなエネルギーに包まれるように、歩いて「授与所」を通り過ぎようとした瞬間、

 

左上の空から、「すぅーと」、女性の声で

「許すとか、許さないとか、小難しいことは考えなくていいから、忘れなさい」と聞こえた

 

その瞬間、この声の主の女神が誰なのか分かった。

 

「なるほど、忘れる」シンプルに心が軽くなった。この時は、そう思った。

 

 

それから、時々「許すとか、許さないとか、小難しいことは考えなくていいから、忘れなさい」の言葉の意味を深く考えるようになった。

 

そして、2023年この新年に私なりにこの言葉の意味の解釈がある。

 

「許す」とはどう意味なのだろうか?

 

「許す」の言葉の意味を調べてみた、「差支えないと認める」「(気)をゆるめる」なのだそうだ。

 

ただ、「許す」にも、色々種類がある。

「相手が悪意なく、してしまったこと。」なら、「お互いさま」で済む問題として、

でも「相手が悪意的、もしくは、不快だと分かっていてやってきた行動」だったら?

 

こういった状況を「許す」ことは、難しいかもしれない。

 

 

2019年、伊勢神宮、外宮の授与所を通り過ぎる瞬間に降りてきた、言葉、

 

私が思うに、人間が「許す」という行為には、ある程度時間を費やすことが必要なのかもしれません。

 

なぜなら、「許す」という行為には、「許す側」の精神的な「成長と段階」が必要になるからかと思うのです。

 

多分、高次元の存在からすれば「許すとか、許さないとかを考えることは、人間では容易ではなく、また、考えている間の膨大な時間はもったいない。」ということではないかと思うのです。

 

「一旦、忘れる」と思うこと、「そのことを考えることより、前進するということ。」

 

「前進する」、進んである程度の時間が経過して、自分の置かれている状況が「幸せ」と感じた時、「相手も、事情があってのことだったのかな」とか、「そういえば、そんな嫌なこともあったな~」と思えた時、「許す」ということができるのかもしれません。

 

そして、「全ては、時(とき、時間)」が解決してくれるものかもしれません。

 

子供の頃に、両親から「私が言っていることは、貴方が大人になった時に分かるわ!」と

怒られたとき、反抗していたけれど、今なら両親の言っていた意味が理解できたりする。

 

 

少し、話が逸れますが、

 

看護師だったころ、整形外科の病棟で、骨折の手術をして順調に治療が進んでいた若い患者様に、医師が「順調だね、あとは、日にち薬だね」と言ったときに、その若い患者様が、真顔で私に「看護師さん、日にち薬ください。」と頼まれたことを懐かしく思い出します。

 

その若い患者様は、「日にち薬」の意味を知らなかったのです。

 

「時間(とき)が、傷を癒す。」

 

「許す(ゆるす)=癒す(いやす)」には、その人にとって、それなりの時間と精神的な成長が必要なのでしょう。

 

間違っても「頑張って!」などと励ましたり、早く解決をしようとしたりして「許すことを早める」こと、「中途半端に許す」ことは、後々、混乱を招くでしょう。

 

「一旦、忘れて前進しなさい。」

 

そのことを私に伝える為に「皇大神宮別宮 月讀宮(つきよみのみや)」での、伊佐奈岐宮のお賽銭箱での「大転倒」は、当初、見送りにしていた「伊勢神宮、外宮」へ行かせる為の、高次元の存在からの「計らい」と思いました。

 

 

時間は止まることなく、意識はパラレル(平行)に物事は折り重なって進みます。

 

一度に、同時に色々な物事の処理をしなければ、ならなくなった時、

貴方は、確実に「ポシティブ(前向き)」に成長しています。

 

 

2023年は、更に加速する「デジタル空間」が、貴方の頭の中を処理することで一杯にしていくでしょう。

 

宇宙が、私たちに求める大変化を、一緒に受け入れていきましょう☺       

 

Love 、love、 love、 ナマステ❤

 


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