1276年、南宋の首都・臨安府が元軍に攻略され、南宋王朝は事実上瓦解する。
その翌年、1277年の事だが、日本の商人が金と大陸の銅銭との交換を元に求めたという。
これに対し、なんとフビライは許可を出しているのである。
当時の日本ではもともと宋銭を輸入し、これが国内通貨として流通していたわけだが、日本の商人はその継続を求めたわけである。
そして、元側にしてみれば、臨安府を落とし、南宋と日本の同盟を心配する必要も無くなった為に、殊更に日本を締め付ける理由も無くなっていたからこそ、フビライは金と銅銭の交換を認めたとも言われているのだが…。
歴史は常に動いている。
その翌年、1277年の事だが、日本の商人が金と大陸の銅銭との交換を元に求めたという。
これに対し、なんとフビライは許可を出しているのである。
当時の日本ではもともと宋銭を輸入し、これが国内通貨として流通していたわけだが、日本の商人はその継続を求めたわけである。
そして、元側にしてみれば、臨安府を落とし、南宋と日本の同盟を心配する必要も無くなった為に、殊更に日本を締め付ける理由も無くなっていたからこそ、フビライは金と銅銭の交換を認めたとも言われているのだが…。
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