学界で認められていない書物、オカルトの世界ではきっと良く知られているであろう地理書
『山海経(せんがいきょう)』
という物がある。
漢の前の時代、秦の始皇帝が中国大陸を統一する以前の戦国時代に書かれたと言われている『山海経』には、朝鮮半島東部にあったとされる蓋(がい)国について、
『蓋国は
燕の南、倭の北にあり
倭は燕に支配されている』
と、記述されている。
これが現実の事であれば、中国大陸が戦国時代の頃、倭人は戦国七雄の一国であった“燕”に支配されていた事になるのだが…
因みに、中国大陸で戦国七雄が争っていた頃、日本列島は大半が縄文時代晩期。
僅かに九州で水稲耕作がようやく始まっていたかどうか、即ち、弥生時代が始まるかどうかというハザマであったと思われる。
近年では、山海経に書かれた“倭”とは、現代の日本列島の事ではなく、朝鮮半島南端の事とする説が有力のようだ。
実際、戦国時代の燕が、わざわざ行政単位としての統一国家が存在していなかったであろう縄文晩期の日本列島まで遠征し支配するメリットは、おそらく見いだせないだろう。
また、中国大陸の正史のトップ、前漢時代の司馬遷が書いた
『史記』
には、日本列島及びそこに住む倭人の記述が無いので、やはり中国大陸の王朝と日本列島の倭人との交流は、『漢書』地理誌にあるように前漢後期から始まったと考えるのが妥当とされているようだ。
歴史は常に動いている。
『山海経(せんがいきょう)』
という物がある。
漢の前の時代、秦の始皇帝が中国大陸を統一する以前の戦国時代に書かれたと言われている『山海経』には、朝鮮半島東部にあったとされる蓋(がい)国について、
『蓋国は
燕の南、倭の北にあり
倭は燕に支配されている』
と、記述されている。
これが現実の事であれば、中国大陸が戦国時代の頃、倭人は戦国七雄の一国であった“燕”に支配されていた事になるのだが…
因みに、中国大陸で戦国七雄が争っていた頃、日本列島は大半が縄文時代晩期。
僅かに九州で水稲耕作がようやく始まっていたかどうか、即ち、弥生時代が始まるかどうかというハザマであったと思われる。
近年では、山海経に書かれた“倭”とは、現代の日本列島の事ではなく、朝鮮半島南端の事とする説が有力のようだ。
実際、戦国時代の燕が、わざわざ行政単位としての統一国家が存在していなかったであろう縄文晩期の日本列島まで遠征し支配するメリットは、おそらく見いだせないだろう。
また、中国大陸の正史のトップ、前漢時代の司馬遷が書いた
『史記』
には、日本列島及びそこに住む倭人の記述が無いので、やはり中国大陸の王朝と日本列島の倭人との交流は、『漢書』地理誌にあるように前漢後期から始まったと考えるのが妥当とされているようだ。
歴史は常に動いている。