『旧唐書』と書いて
“くとうじょ”と読む。
そしてこの『旧唐書』東夷伝の中には、
“倭国”条と“日本国”条が別々に存在しているのである。
倭国条の記述を見ると、
『倭国は、古の倭奴国也。京師(長安)を去ること一万四千里、新羅の東南、大海の中に在り。』
と、書かれている。
ここに書かれている、
“倭国は古の倭奴国”
という記述…
これが事実であれば、我々は大きな勘違いをしていた可能性も出て来る。
先のブログで触れた、『後漢書』東夷伝の記述…
“建武中元二年、倭奴国、奉貢朝賀す。”
という表現があるが、これまでは
“倭人の住む列島の中の小国の一つである奴国から朝貢があった。”
という意味だとばかり思っていたものだが、
AD57年当時、日本列島全体と言わずとも、ある程度の範囲を治める統一国家が有ったのかも知れない…。
歴史は常に動いている。
“くとうじょ”と読む。
そしてこの『旧唐書』東夷伝の中には、
“倭国”条と“日本国”条が別々に存在しているのである。
倭国条の記述を見ると、
『倭国は、古の倭奴国也。京師(長安)を去ること一万四千里、新羅の東南、大海の中に在り。』
と、書かれている。
ここに書かれている、
“倭国は古の倭奴国”
という記述…
これが事実であれば、我々は大きな勘違いをしていた可能性も出て来る。
先のブログで触れた、『後漢書』東夷伝の記述…
“建武中元二年、倭奴国、奉貢朝賀す。”
という表現があるが、これまでは
“倭人の住む列島の中の小国の一つである奴国から朝貢があった。”
という意味だとばかり思っていたものだが、
AD57年当時、日本列島全体と言わずとも、ある程度の範囲を治める統一国家が有ったのかも知れない…。
歴史は常に動いている。