旅に出て約二年後の永禄4年(1561年)、林崎重信はついに京の都で父の仇・坂上主膳と相まみえる。

この時、重信が京流の技を駆使したのか、自ら開眼した抜刀術を使ったのか、或いはその両方か…

とにかく見事に父の仇を討った林崎甚助重信は、故郷の出羽国楯山林崎に帰り、母に仇討ち達成の報告をすると共に、抜刀術開眼のきっかけになった林崎明神に納刀したそうだ。

その翌年、母が亡くなると、重信はまた故郷を離れ、修行の旅にでる。

重信はその旅の途中、鹿島神伝流・香取神道流を学び『一の太刀』という奥技で知られる“新当流”を創始したと言われる、あの“塚原卜伝”にも師事したようである。

まだ、武術研鑽は終わらない…


歴史は常に動いている。