邪馬台国の女王“卑弥呼”が魏の明帝に遣いを送っていた事は良く知られている。
しかし、卑弥呼の死のすぐ後の事をアナタは知っているだろうか?

晋書武帝紀によれば、卑弥呼の死から18年後、中国大陸を統一し三国時代を終焉に導いた“司馬炎”の『晋』に、“倭の女王”から遣いが来たという。

時期的にみて、おそらくこの時の“倭の女王”と言うのは、卑弥呼の死後に邪馬台国の女王に推された卑弥呼の親族の女性“臺与”(イヨあるいはトヨ)だと思われる。

因みに、臺与が遣使した晋の司馬炎とは、あの三国志に出て来る魏の英雄“曹操”の右腕的存在だった“司馬懿仲達”の孫にあたる。

この後、実に150年程、中国の歴史書から日本に関わる記述が出て来なくなる。
故に、日本史においては謎の4世紀とか、空白の4世紀とか言われる様になるわけだ。

というわけで、日本人の間であまり知られていない歴史書の記述。

邪馬台国ファンも三国志ファンも、興味を持って頂けただろうか?


歴史は常に動いている。