この前、「浦島太郎」について、ネットを探していたら、久しぶりに「古田史学」と言う文字を見つけました。
古田武彦さんと言う元昭和薬科大学の教授が提唱していた、全部はしょって一言で言えば「東北に古代王朝があった…。」と言う歴史認識です。

昭和46年頃、青森県五所川原市に住む「和田喜八郎さん」の家の屋根裏から「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)と言う書物が落ちてきて話題になったもので、シベリア経由で渡来した民族が、東日本に政権を樹立し、存在が疑問視されている神武天皇から10代の天皇は、大和朝廷と東北王朝から「かわりばんこ」に即位していた、等と記されています。

この古文書については、「和田さんの創作だ!」等と言われ、「日本三大偽書」の一つとされていますが、この東北王朝の信憑性を主張しているのが古田さんたちの学派です。

久しぶりに「古田史学」と言う言葉を発見して、昔の記憶が甦ってきました。

今から、20年近く前の事です。

私の職場に定年間近のおじさんが、いました。
彼は、「超常現象大好き人間」(本人けっこう真剣に科学してました)で、東北王朝についても一生懸命調査しており、よく「和田喜八郎さん」の所にも行っていたみたいです。

そのおじさんが、ある日わたしに言いました。

「君は見所のある若者だ。そろそろ私も年なので、研究を君に引き継ぎたい。ついては、今度の週末、私に付き合ってほしいのだが…。」

ちなみに、私は、「オカルトもの」に全く興味がなく、彼は私のどこに「みどころ」があったのか皆目分かりませんでしたが、大先輩の「おたのしみ」を言下に否定するのも失礼に思い(単に「気が弱いだけ」だった気もしますが…)、お付き合いする事に…。

場所は、青森県の「石塔山」。

なんでも、「東日流三郡誌」によれば、石塔山の地下には、「東北古代王朝の地下神殿」があるそうで、和田さんは、そこから、さまざまな遺品、遺跡を発見したのですが、かなり「偏屈な性格」だったようで、事もあろうか、地下神殿の入口に自分で神社を建立してしまったのです。

ま、神殿の入口をふさいで、他の人が入れなくした訳ですが、この神社の年に1回の神事?があるそうで、大先輩は、それに私を連れて行こうとしていたのです。

「神事」に行く前の晩は、大先輩と五所川原市の安ホテルで痛飲しつつ、「東北古代王朝」についての色々な話を聞きました。

なんでも和田さんによれば、地下神殿はいつも地下水で水没しており、9月の最初の満月の晩にだけ水がひくんだそうです。(ほんまかいな?)

で、大先輩は、いつかこの地下神殿に入れてもらおうと、「和田さん通い」をしているそうな。(あぶな…。)

翌日は、嵐のような土砂降りの中を「石塔山」に行きました。
行ってびっくり。
津軽半島の真ん中を走る津軽山地にある石塔山は、回りの山々が青々とした木々に覆われている中で、そこだけ土肌がむき出しになっている山で、確かに私のような興味がない人間が見ても、一種異様な雰囲気をたたえている場所でした。

そして、そこにある小さな建物(これが神社なのですが)に入ると、信者?数十人が中に座って祈祷をしていました。
そして、さらにびっくり!

神棚に飾ってある遺影は亡くなった「安倍晋太郎さん」(安倍首相のお父さん)ではないですか…。

東日流三郡誌によりますと、中世に東北王朝を引き継いで、繁栄した「安東氏」は「前九年の役」(1051~1062年)で敗れた「安倍貞任」の子孫だそうで、つまりは今の「安倍さん」は、東北古代王朝の末裔と言う事になるわけです。

安倍晋太郎さんは、総裁候補と目されながら、病に倒れた訳で、古代、交互に日本の王権を担っていた東北王朝から、「千数百年ぶりに、日本の王が誕生するはずだったのに…。」と言うのが、多分、彼らの文脈だったのでしょう。

「東北古代王朝の真偽」は私には分かりませんが、それを信じて、「安倍晋太郎さん」の無念を弔う人々がいる事にびっくりしたわけです。

そして、今思えば、あの前列真ん中に座っていた人は、「若かりし頃の安倍晋三さん」なのでは…。

東北古代王朝な方々にすれば、安倍政権の誕生は、2000年近くにわたる快挙で、さぞやおよろこびの事でしょう…。

その後、会社を退職し、大先輩とは会っていませんし、和田喜八郎さんも1999年に亡くなったそうです。

もちろん、その後、石塔山に行った事はありませんが、「もし9月の最初の満月の晩に地下神殿に入れてもらえる。」と言われたら、今だったら喜んで行くかもしれません…。