イタリアの石の建築文化はホントに凄かった。


幾何学を使いあのような素晴らしい建築物の数々を作りあげる文化。


石工の地位が高かったというのが納得できます。


ローマもナポリもスペインはマドリードもバルセロナも建物は堅牢です。


長い闘いの歴史の末、堅める、入れないという文化が根本にあるのでしょう。


こちらで美しい教会を沢山見ました。


大きく美しく静謐な空間ですが扉を締めれば容易に外からは入れません。


そのスケールやその美しさや立派さを見て感動しました。


それを創る人間こそ神の子でありとてつもない力を持った存在であるとも感じました。


翻って見た時に日本の神社は実に潔く大らかであるかも氣づきになりました。


まず外を締め切るということが少ない。


鳥居はあるけれど24時間どこからも入れるという社も少なくありません。


外を守るということがなく締め切らず全てに対して開いている。


鍵をかけなければ泥棒は入らないなんていう人もいますがまさにそれと同じではないかと。


来るもの拒まず去る者追わずでしかしそこには確かに在る。


これは素晴らしいことではないでしょうか。


相対的に比べる、自己と他者をハッキリと分けることの果てにある戦いがこの世の中にあり、宇宙遅れな流れ、キナ臭い情勢(そこには軍産複合体の意図が大いにあるのでしょうが)そんな時勢だからこそ、


全てに開き、受け入れ自然そのものを尊ぶ八百万の神の潔さ、大らかさはこれからの世界への大きな鍵になるのではないでしょうか。


ソースは曖昧で本当にそう言ったのかはわからないようなのですが、アインシュタインは日本こそが今後の世の中を担っていく国だと言ったという話もありますよね。


日本の神社の素晴らしさ、懐の深さ、潔さに改めて感動しました。


全てに対して開いているというのは一番の強さかも知れませんね。


宇宙早しです。