NHK 火曜22時
「魯山人のかまど」冬編 最終回(4/21)
NHKの火曜ドラマで4回に渡り描かれた「魯山人の人物像」に興味があり
4回全て観ました。
この「連ドラについてじっくり語るブログ」さんの評価も面白くて拝見していました。
で、今回最終回について語られていたので、興味深々でした。
記事引用失礼します。
以下引用
魯山人のもとにアメリカの石油王ロックフェラー夫妻が訪ねてきます。
茶室で茶事として料理を振る舞う魯山人(藤竜也)とそれを陰ながらサポートするヨネ子(古川琴音)。
魯山人のもてなしぶりには毎度感銘を受けますが、今回は格別に感銘を受けました。
魯山人は白米を炊くとそれを3回に分けて供するのです。
茶室の炉で炊いたらまず、水気が多く米はまだ硬めの「はしり」を振る舞います。
次は蒸らして炊き上がった、まさに炊きたての「さかり」を振る舞い、同じ米かとロックフェラーを驚かせます。
更に炊いた釜から御櫃に移し落ち着かせた「なごり」を最後に出し、これもまた味わい深いと言わしめます。
ご飯を人の一生になぞらえて、その違いを味わってもらった魯山人は、老いたなりに味わい深さがあるので老いや死を恐れるものではないと説きます。
魯山人の家計はいよいよ苦しくなり松山(満島真之介)も暇乞いを言ってきます。
孤独になってしまった魯山人ですが、正月はヨネ子や松山親子、浦田や辞めた春子(中村優子)が集まり、それぞれの故郷の雑煮を作ったり、みんなで田舎狂言を魯山人の前で披露したりします。
しかし、そのあとはまた孤独、税金滞納で差し押さえられ家財や作品は押収され、ガランとした中でたたずみます。
魯山人の人物伝を書き終えたヨネ子は嫁に行くことになったようです。隠していた茶碗を魯山人は結婚祝いに贈りました。
老いも孤独も貧困も受け入れ、それでもロックフェラー財団からアメリカへ招待されたら張り切る姿に、まだ衰えない生への執着を感じました。
老いの入り口にいる私めには心に刺さる最終回でした?
上記引用
とに角このドラマ、四季の夫々の回の映像が美しいのです。
画面はいつも静寂です。
彼がこんな生い立ちだったとは知らず、料理と陶芸の分野のことしか知らなかったのでドラマで学ばせて頂きました。
この最終回の「3回に分けて出したご飯」は不思議な感覚で見ていましたが、
茶室の竈脇の小さな出入り口を使って運ばれる「ご飯」は初めての認識でした。
そのご飯まだちょっとカタクくない?
とか、
へ~、御櫃に移すのはこの段階?
などと、解ったような解らないような感覚で見てました。
魯山人さんは直に自分で料理する人だったので、それにも驚き、認識不足を感じました。
それに、親から捨てられ、親戚を?たらい回しされた生い立ちが、幼い時から
「重宝な子供」と思われて親代わりの家庭から追い出されないように、おさんどんを覚えたという経緯には驚いた。
で、このブロガーさんの視点から、
ご飯を人の一生になぞらえて、その違いを味わってもらった魯山人は、老いたなりに味わい深さがあるので老いや死を恐れるものではないと説きます。
👆
の部分に共感したんです。
古民家風の佇まいの家の縁側の座椅子で脚を投げ出して座る映像も印象的でした。
晩年の姿とは言え享年が76歳ですから、妥当な映像だったと思います。
そんな中でも、「老いたなりに味わい深い」という表現に、ブログ主さんも心に刺さると仰ってましたが、そこにまた私も共感したのです。
人生の「その時期」にしか味わえない事を味わっていたら老いや死も味わう事の一つになりますね。
そして、私もそんな年齢を味わうのでしょう。
最後に、
北大路魯山人という人について。
北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん、本名:北大路 房次郎〈きたおおじ ふさじろう〉、1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉12月21日)は、日本の芸術家。出生前に父親を亡くし、母親からも捨てられるが、複数の養親と素封家の家を転々としながら独学で美に関する見識を高め、生涯を通じて、篆刻、絵画[2]、陶芸[2]、書道[2]、漆工、料理[2]などのさまざまな分野で活動した。
私生活では過酷な幼児体験から他者を信頼することができず、誰に対しても率直な発言をおこなったために、周囲と多くの摩擦を引き起こして孤独な晩年を送った。

