私の「ん?」の過去記事でした。

 

 相手を思う気持ち?

自分を披露する気持ちでしょ?!ガーン

 

 

画像の 昭和58年は1983年です。

昭和64年1989年が平成元年ですから、平成負債はまだ皇太子の時代となります。

 

その当時の皇太子夫妻がしていたゴコ━厶の一つです。

上記を念頭に以下の2003年当時のお話し、

平成15年の事でした。

 

 

 

 

 上記動画は昭和58年8月2日の映像です。

篠原由佳さんが盛んに作っておられたショ━ト動画でした。

これは保存が必要と思い、取り敢えず記事にしておきました。

 

ですから、読者様からお話しを頂いた時、すぐにこの動画が蘇りました。びっくり

 

 

そして、以下が読者様の実際の体験です。

 

 平成は15年目でした。

 

以下引用


2003年春頃の事です。
アルツハイマーを患っていた義父の介護をしていた義母が疲労困憊。
(義母は結果的にその年の8月に倒れ、入院します。)
老々介護のモデルカップルでした。
介護サービスを受けながら在宅介護でした。
そんな中、
取り敢えず、義母に休養を与える為
義父には
老健施設に二泊三日のお試し入所をして頂く事になりました。
うまく行けば、
そのまま1週間〜1ヶ月〜3ヶ月と、
スライド入所も可能だと言う事でした。

さて、二泊三日のお試しの日。
義父義母、義父の兄弟、
長女(夫の妹)、私(夫は長男)。
何とか暗雲立ち込めている在宅介護に
風穴を開けたい一心でした。

色々と入所の手続きを終え、
義父一人を施設に残して
付き添いメンバーは解散。
帰宅の途に付きました。

帰宅して、
仕事の都合で入所に立ち会えなかった夫に
報告をひとしきり。
それから、どれ位経ったでしょうか?
床に着いたのは、夫も私も日付けが変わってから。
寝入りばなに
電話のベルが鳴りました。
真夜中です。
確か、深夜の1時か2時頃だったと思います。
施設からの電話でした。
一体何事かと、いっぺんに目が覚めましたよ。
その電話の内容は、
『お預かりしているお父さま。
とても、お預かり出来ません。
二泊三日の予定ですが、
明日(って、今日の事です)午前中に
お迎えに来てください。
預かれない理由は、
大人しく無い。
夜中だと言うのに、
此処は何処だ⁉️
あんたは誰だ⁉️
夜だと言うのにエレベーターがうるさい。
非常灯が点いていて、眩しい‼️
家族を呼べ、、、、
TVのリモコンが使えない、、、』

夫も粘りました。
『せめて、二泊三日は予定通りお願いしたい。
慣れてくるかも知れないじゃないですか?』
押し問答が続いて、
最後に施設側の言ったひと言が凄いんです。

『こちらは、介護施設の中でも
特別でして、
モデル施設になっています。
皇室の方が視察にいらっしゃるのです。
ですから、
お預かり出来る方には条件があり、
大人しくしていてくださる方でないと、
皇室の方に何かあったら困るんです。
ですから、宜しくお願い致します。
静かにベッドに寝ていてくださると宜しかったのですが、、、』

『皇室?それがどうだと言うんですか?
皇室がそんなに偉いんですか?
そんな、馬鹿な言い草ありますか?』

『天皇陛下と皇后陛下ですよっ!
そんな失礼な言い方はどうでしょうかね!』

『天皇が皇后か知らんが、もういいです。
納得した訳ではないが、
これ以上の議論は無駄ですね。
明日、迎えに行きますが、
時間はこちらの都合のつく時間にさせていただきますよ。
宜しいね!』
それで、電話は切れました。
翌日のお昼前に
私は義母と一緒に義父を迎えに行きました。
そして、
たった一泊で、
老々介護の日々が再び始まりました。
介護サービスをフルに活用し、
足りない部分を
同じ市内に住んでいた私達長男夫婦と、
他府県に住む弟夫婦、妹と当番を決めてサポートして凌ぎましたが、
厳しかったです。
あの頃は、未だ未だ認知症の高齢者が
入院、入所出来る処は少なく、
グループホームにもピッタリくる処が無く、
義父は精神神経系の病院でしか
受け入れで貰えませんでした。
その為、致し方なく介護サービスを受けながら
在宅介護をしていた訳で、
介護のメインを担っていた義母が1ヶ月に1週間でも介護から解放される生活をと、望んでいたのですが、
それも受け入れられず、
結果的に
介護に限界だった義母はその4ヶ月後に
うつ病が悪化して緊急入院。
それから2週間後に、
義父は義母とは違う病院に入院。
二人は、それぞれ
別の病院や施設を転々としながら、
義父は入院から4年後に他界。
義母は入院5年の後、うつ病からは回復し
有料老人ホームで9年過ごした後に
天国に旅立ちました。

あの時、
二泊三日も許されずに
返された義父が旅立って半年程後に、
何と、
あの老健から一通の封書が届きました。
中には、

○○老健ホーム、永年会員△△様
   〜
本年度の賛助年会費のお振込みを
お願い致します。

年会費 10万円

何と、義父は
あの老健施設の開設にあたり、 
色々と、
尽力していたらしいのです。
後に、義母から聞きました。
呆れてものが,言えない。

最近になって、
平成夫婦の全国福祉施設行脚って?
アテクシ達、国民の為に
頑張ってますのよ!
有り難く思いなさい。
アテクシが行くところ、
粗相は許さないわよ!
だったの?
天皇皇后にお越し頂くのは
名誉な事だったの?
モデル施設って何?
全部、ヤラセだったのかしらね?
 

上記引用

 

二泊三日を断わられた老健ホームからの

年会費10万円を徴収って!よくも平然と!

と先ず思います。

怒りムキーです。

 

 

そして、上記に続くお話、事実です。

 

以下引用

 

宮内庁HPに
平成天皇皇后 福祉施設などご訪問
として、
福祉関連施設訪問を年度別に列挙されています。

その中に
義父が追い返された施設はありませんが、
多分モデル施設なるものを全国に指定して、
天皇皇后が行く時の為に事前に
ちゃんとやっておく様にと
お達しがあったのではないでしょうか?
失敗は許されないから。

以前、
ガルちゃんだったか?
皿が老人ホーム?病院?で
あるご老人に手を触られ、
押し返す画像がありました。
国母を演じる為には、ややこしい老人、患者、
子どもはお断りだったのは、
想像に難くないですね。

それと、
補足ですが、
20年程前はアルツハイマーに対する世間の認知度も、
医療従事者、介護従事者達の認識も
未だ未だでした。
アルツハイマーは大変。
普通の病院、施設では受け入れ難い。
それで、
義父の場合、
寝たきりではなく、起きたきりだった事で、
精神神経科の病院しか受け入れして貰えなかったと言う事。
つまり、治療のやり方が違う訳です。
精神神経科では、
薬物で大人しくさせる。
黙らせる。
活動を阻止する。
身体拘束が合法的に出来る(家族の同意書は必要ですが)
同意しなければ、退院ですから
同意一択で。

色々と思い出しました。

★平成12年(2000年)に介護保険サービスが
スタートしました。
義父母は、そのスタートと同時に
様々なサービスを受けました。
利用者が少なく、手探り状態でもあり
毎日2〜3時間ヘルパーさんが来てくださり、
配食サービスも利用しながらの日々でした。

アルツの新薬が認可されたのもこの頃です。
でも、効き目は感じなかったです。

 

 

上記引用

 

 

 

「★平成12年(2000年)に介護保険サービスが
スタートしました。
義父母は、そのスタートと同時に
様々なサービスを受けました。
利用者が少なく、手探り状態でもあり
毎日2〜3時間ヘルパーさんが来てくださり、
配食サービスも利用しながらの日々でした。」

 

そして、最後にこう書かれていました。

そして、義父母様は、

 

「二人は、それぞれ
別の病院や施設を転々としながら、
義父は入院から4年後に他界。
義母は入院5年の後、うつ病からは回復し
有料老人ホームで9年過ごした後に
天国に旅立ちました。」

 

お二人共に長い闘病生活を強いられました。

ご家族様のご苦労こそ、手探りだったことと思います。

 

その頃から20年が経って、制度は改良されていると思います。

私自身も、亡き母がお世話になった介護保険制度なので、ある程度は経験しています。

しかし、あちこちに転院の経験はなく、病院併設の介護施設を利用したり同病院に入院したりの後亡くなりました。

 

そして今の現状は、実際に動いて下さるケアーマネージャーさんやヘルパーさんは不足していると聞きます。

 

誰だって歳を取り、身体も自由にきかなくなり、認知症など発症することもあります。

生きている限り他人事ではありません。

 

ただ、頭の隅に引っ掛かるのはあの人達の事です。

 

今、毎日のニュースで山形、秋田の毎日続く大雨のことを伝えています。雨雷

 

そんな時に前天負債の那須静養の報道です。

老夫婦二人で”棲む”には広すぎるほどの仙洞御所、これまた皇居より広い、は改修されたばかりで、移動して静養するよりも快適に過ごされるお住まいだと思います。

 

普段、どれだけのお仕事があるのかしれませんが、引退された方ですから推して知るべしです。

 

そんな二人が、警備だの、お付きの職員だの連れて、静養が先ですか?真顔

 

”国民に寄り添う”がモットーだった?前天負債が、大雨に悪戦苦闘される国民のことなど気に掛けることもなく、那須で静養・・・・。風鈴

それも今上陛下ご一家よりも先に行きたいのだそうです。

そういう事です。

 

読者様のお話、老人ホーム視察の内情、介護保険の内情全て国民のほんの一つの

お話です。

全国にある気になるお話、悔しいお話など、数えきれない程あると思います。

 

皇族がゴコーム名義で、視察に来るからって、普段と全く違う日常を見せてどうするんだ!って話です。ムキー

 

上記の動画の様に、入居者に歌を歌わせて、その日のイベント化して映像に残し、

そこに登場するのに妙に相応しい?お帽子被ったお妃様よ!ですか?ポーン

 

あれこそ、あの動画こそが証明しているんです。

皇太子時代から、そして、天皇負債になってからずっと、自分たちのことしか考えていなかった本当に惜しい、惜しい、平成を覆った、日本の国民を騙し続けた、国民は知ることをしなかった、天皇を祭りあがてしまった日々だったのです。ゲロー

 

そして、国民はただただ、手探りの介護保険制度に翻弄され、病気のご本人と

共に疲弊されていったご家族の姿がありました。

 

介護保険制度も、利用するには無料ではありません。

介護施設に入所も経費はピンキリです。

 

認知症発症しても最後は”お金次第”です。札束

 

あの負債は多分、お🥗が割れるまで、🍵と、どちらがお先?か知りませんが

皇統簒奪の計画の首謀者であるにも拘わらず、何故か今でも、敬うがごとく

扱われていることが不思議でなりません。

国民だって、所業の全ては知っていて、こんな負債だけが生活全般が保証されていることに憤りを感じています。

もっと言えば、存在そのものに憤りを抑えられません。ムキー

 

この負債の所業と偽皇族の次男一家の所業を見す過ごさないためにも、一日も早い皇室典範の見直しが必要と考えます。

 

改修が必要な個所を見せて、不自由さを知ってもらい、掃除が行き届かないくらい困っていたら、仙洞御所の職員60人がどれほど過剰な数か気付き、人出をどのように配することが必要かくらい考えることが視察なんですよ!

 

自分をミテミテなんて!恥ずかしいばかりです!

 

追記:

動画内、ベッドで寝ている人と握手のような素振りも、強く握られて上手く振り解いてます。

恰好だけなんですよ!

何でもね!真顔