エトセトラジャパン様の

【YOUR VOICE】

より引用させて頂きます。
 
 

 

 

以下(部分)引用

 

父の『戦争に負けたのだから、どんな家の娘を押し付けられても断る権利などない。天皇家も終わりだな』。10才前後の私は、全ての話しは理解できなくても、アメリカの言う事をきかなければならないのかと嫌な気持ちになった。

 

正田家は三代前から熱心なクリスチャン家系なのに、なぜ神道の天皇家に嫁ぐ事が可能だったのか? 明仁さんよりミテコさんの思惑で皇室の物事全てが動いていたのが、不思議だった。

理由が理解出来たのは、雅子さま虐めが発覚した後(2002年頃)。ミテコさんの入内の本当の意味が見えてきた。昭和帝は全てお見通し、ミテコさんの後ろにいるモノを警戒したのだ。国民を守るためミテコさんのやりたい放題をやり過ごしたのだと思う。

早くから徳仁親王の教育を浜尾様に託したのは、皇室をもう一度「あるべき姿」に戻したい、との思いがあったからに違いない。明仁さんは恐らく昭和帝の深い気持ちまでは理解していなかったように思う。

 

 

上記引用

 

 

他の「X」でも同様なご意見を読んだのですが、

今の皇室の皇統問題他の国民が問題視していることの発端は正にミテコの入内から始まっていると言って過言ではないと思います。

 

今衆参議長の元、皇統問題を外して、もう長いこと一般人だった家から皇位継承できることになる男子を引っ張ってこようだの、訳の分からない議論をしている、いや、結論ありきの、御集り会をしている国会の代表者たちがいる。

 

ミテコ入内でねじ曲がり、どこまでがJK,JKGの子供なのか分からないDNA問題にまで来てしまっている内部。

皇統を継ぐというこは、世襲なのだとか、DNAなのだとか、国民の総意だとか、

解釈については篠原氏などが詳しく配信して下さっている。

 

私は、何故こんな事態が続くのだろう?

原因は何だったのか、何なのかと知りたいと思っていた。

昭和の時代まで天皇家は敬う存在だったのに何故、こんな事態になっているのか、はっきり知りたいと思っていたし、いるのです。

 

 
先ず、
 

平成負債が出会ったのは軽井沢ではなくて、皇室のメンバーも出入りしていたローンテニスクラブであったのが事実。

出会ったではなく、明仁にミテコを見せて反応を見たところが始まりであり、

ここで大きく関わるのが小泉信三氏である。

 

先ず、国民はここから騙された。

 

テニスで結ばれた恋?なんて設定で、国民は「素敵~!」なんて、その辺にはない皇太子の恋なんてものに騒いだものです。

ミテコは一旦固辞してヨーロッパに頭を冷やしに行ったとか。

いやいや、その前にGHQと小泉信三さんの仲立ちで、メンタルも馴らした娘を

明仁に押っ付けた。

神道の家にクリスチャンの娘を連れてきたのだ。

 

 

元皇族や、華族のお姫様たちに固辞されていて結婚が決まらなかった明仁は

GHQに逆らえないし、嫁の来てもない所に渡りに船ですよ!

 

平成負債、いつも肘を持たれてコントロールされていた明仁さんとミテコ

の隠蔽妄想時代の始まりでした。

 

 

 

 

以下引用

 

小泉 信三(こいずみ しんぞう、1888年明治21年)5月4日 - 1966年昭和41年)5月11日)は、日本経済学者経済学博士)。位階正三位

東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長日本聖公会のクリスチャン[1]。父は慶應義塾長(1887年(明治20年) - 1890年(明治23年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任した小泉信吉(こいずみ のぶきち)。

 

1949年(昭和24年)、東宮御教育常時参与に就き、皇太子明仁親王(現在の上皇)の教育係として、ハロルド・ニコルソンジョージ5世伝』や福澤の『帝室論』などを講義し、新時代の帝王学を説いた。また美智子皇太子妃実現にも大きく関与した。

 

上記引用

 

東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長日本聖公会のクリスチャン[1]

というところが重要である。

 

 

この人物が皇室とミテコを結び付けたのであって、テニスが趣味の二人が偶然出会ったのではない、と繰り返し言う。

 

 

という経緯で、一般人が、

「婚約の整ったミテコが近所に挨拶をして回った」を記憶していた、に繋がる。

ミテコは柔なお嬢様ではなかった。

「(御徒町)のミテコ」として有名な正田の娘だった。

そういうことをご存じの方の、やりきれない言葉が、

『戦争に負けたのだから、どんな家の娘を押し付けられても断る権利などない。天皇家も終わりだな』

となるのですネ。

 

👹の父親が学習院に雇われたのは最初は厩務員(馬の世話係)としてだったのが、入内するとなって教授になったように、嫁に入る娘の親戚たちはかなりミテコ繋がりで社会的にも、ビジネスの世界でも、特権を行使できただろう。

 

TV業界もスポンサー次第。

そのスポンサーの部分にミテコの閨閥は食い込むことができていった。

TVなんて真実など喋る訳がない道理。

 

銀行にも、フォーダム大にも、一ツ橋大学にも、融通のネットを張り巡らして

🐴子の希望をキッチリ叶えて今。

 

書き出していると「何故」が頭が整理されてくる。

 

世紀の恋だか、軽井沢の恋だか、テニスで結ばれた恋だかは、み~~~んな

国民を騙した設定でした。ムキー

きっと、多分、あれから60年(きみまろさんの決めセリフ?(笑))、

御徒町で鳴らした、その心臓で御所内及び皇室内を思うように牛耳った女帝で過ごしていたのだろう。

 

そしてその歪んだ采配、思惑がボッタマを産み、皇統を簒奪させるという

日本の恥を海外に晒すような異常な行為が生まれる元凶となっている。

 

30年いや、60年に渡る行動の過ちを償ってほしい、のがこのような皇室にしてしまった平成負債に向ける叫びなのです!

永久に残る史実になりますね。

 

「デジタルタトゥ━」として永久に遺る平成の証拠写真は既に消えない。

検証を重ねれば重ねる程異様さは判明していく事でしょう。

 

今ねじ曲がった議論を続けて、一旦弟宮に皇統が移ったとしても、(考えたくはないが)、それを決めた政府の面々との裏の思惑は必ず白日の下に晒される日が来る。