美容院で見ていた雑誌(毎月発行のセレブ向け?)の中に「豪邸」が特集されていた。

 

オーナーさんの住まい方、生き方が、所有する住まいに、表現されるのだろう。

雑誌もそうですが、こうして数々のブログに出会う世界を知ると、ファッションにしても、インテリアにしても、

食に関することにしても、文字の読める人の数(乳幼児は無理だと思われる)だけ、生き方があるということで、

この「豪邸」もその一部なんだと理解して眺めていた。

 

ページの最後に、それぞれの邸宅の設計者が紹介されていて、豪邸完成の経緯などが書かれていた。

建築家も仕事をするのだからオーナーの意見、要望を取り入れて造りあげるのだろうから、さぞ大変だろうな

と、気の毒になってしまったのが本音。

 

「豪邸」ではなく、「暴邸」にしか見えない邸宅があったからだ。

中途半端な欧風階段とその手すりの鉄製の華美なデザイン・・、設計士さんの苦悩を想像した。

そもそも、豪邸は必要なのか、とさえ思ってしまう。

あれらの家は誰が掃除しているのだろうか。

業者に依頼している経費がかかる家なのだろう。

 

そこで思い出したのが鴨長明の方丈庵のことでした。

 

詳細は、下記URLを紹介します。

http://seikatsukan888.blog112.fc2.com/blog-entry-49.html

 
の場合、火災被害や災害に何度も遭って、「無常」を感じたので、それこそ「豪邸」などあっても「無常」と感じた
時代ではあったと思う。
逆に、「豪邸」というものは災害、盗難、侵入などに備えた邸宅でもあると思う。
方丈庵とは真逆の考え方なのだ。
 
私は、鴨長明派で、生活に必要な最低限の機能が果たせて、シンプルで、無駄な装飾は要らず合理的な動線と収納と
自然エネルギーを活用した「家」であれば十分だと思っている。
(陰の声として、もしも、豪邸を建てる程の財力があったら、ステータスシンボルとして建てるのではないかと、
思われるかもしれないけれど、多分?それはない。まだまだ他の遣い方は世界中にある。)
個人の家ならば、方丈庵のような理知的で洗練された家、それこそが夢の実現だと思っている。
 
建てた家はいつか壊すものである、とそこまで考えて家は建てたい。
現代はそこに一番経費がかかるのだ。
人間の一生など、あっと言う間に終わってしまうものだから、いろんな意味で「遺すもの」にも
配慮をして生きたいと思っています。

 

 

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