皆様、こんばんは~
🌇🌇🌇🌇🌇
本日は
M本八幡とK船橋です。
エンジョイエアロは
もう少し丁寧にやりますね~
(サラッと流しすぎたか!)
さてさて!!
昨日は久しぶりに
代行レッスンないので
かねてから行こうと思っていた
皇居一般参観に
行って来ました。
😆😆😆😆
皇居は
皆さん、ご存知の通り
江戸時代に徳川歴代将軍が
居城としていました。
明治維新の後、
明治天皇は千数十年にわたり
天皇がお住まいになっていた京都から
お移りになります。
以来、天皇がお住まいになり、
宮殿では諸行事が行われて
きましたが!
昭和20年(1945)
明治宮殿が焼失します。
😵😵😵😵
昭和43年(1968)
現在の宮殿が完成します。
😶😶😶😶
皇居東御苑は
人数制限無しで入れますが!!
一般参観コースは
午前の部 午後の部とありますが
人数制限があります。
(事前申込と当日券)
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先ずは行幸通りの辺りから
遠くに東京駅が見えます。
(もう少しでイチョウ並木が良い感じに)
😉😉😉😉
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桔梗堀と巽櫓
近くのおスタバ様で休憩
したかったが!!
当日券をゲットするために断念します。
(午後の部は12時30分〜整理券配布)
内桜田門の裏側【雁木】
侵入者が来たら
櫓門とコチラの雁木を登った上から
十字砲火を浴びせる仕様です。
コチラの桔梗門の裏側を回り込むと
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富士見櫓
本丸南端に位置する三重櫓です。
(櫓の高さは16m)(石垣の高さは15m)
明暦3年(1657)
明暦の大火で天守とともに三重櫓も
消失しますが!!
万治2年(1659)に再建され
天守の代用とされてます。
宮内庁庁舎
昭和10年(1935)に建築されてます。
戦後、
昭和27年(1952)10月から
昭和44年(1969)3月までの間、
三階を仮宮殿として使用したそうです。
🧐🧐🧐🧐
宮殿東庭と長和殿
足元の石畳は
香川県産の安山岩で
大変、水捌けが良く足に優しいんだそうです。
そして石畳の下は
駐車場になっており
120台の車輌が駐車できます。
(国賓・来賓に対応してるのね!)
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二重橋(正門鉄橋)
カネゴンも初めて知りましたが
二重橋とは
広場から見える手前の
石橋と奥側の鉄橋のコトを
指しているのかと思ってましたが!!
(もしくは石橋のアーチが2つだから)
(石橋を二重橋🌉と思っていたが!)
違います。
現在、鉄橋🌉が架けられていますが!!
江戸時代は木橋が架けられており、
当時の堀が深いので
橋桁を二重に組んで橋を形成
していたので!!
【二重橋🌉】と呼ぶそうです。
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正門石橋
正門鉄橋から撮ってますが
ガイドさんから言われたのは
間違ってスマホやカメラを
落としたら!!
回収はできないので
諦めてください。って
😱😱😱😱
言われたのに
ギリギリアウトの所で
撮る人いました。
😠😠😠😠
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伏見櫓
徳川家光の頃に
京都伏見城から移築したと伝わります。
別名を月見櫓
コレを近くで見たくて
気分は
😍ウットリ😍
同じく伏見櫓ですが…
下に腰巻石垣がありましてん。
石垣・土塁・石垣・櫓の対比を
感じて頂きたい。
コチラの石垣は
関東大震災でも崩れなかったそうです。
宮殿表玄関南車寄せ
各国の王族や大統領や大使など
国賓が利用される玄関です。
天皇皇后両陛下がお迎えにお出でに
なりますね。
😳😳😳😳
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長和殿の中央です。
年始1月2日や天皇誕生日に
コチラにお立ち台を建て
天皇皇后両陛下や皇室の方々が
お手をお振りになります。
よく新年の挨拶などをテレビで見ると
上からお手をお振りになっているように
見えますが!!
実際の高さは3mほど
2階から、お振りになっている感じです。
東庭の後方に
報道用の土台が設置されているので
そこから撮影すると
一般参観の頭上が見えるので
かなり上から見下されてる様に
放送されてしまうんだそうです。
またニュースなどで
宮殿を【きゅうでん】と発音しますが!
実際は【きゅーでん】が正しいそうです。
🙄🙄🙄🙄
石畳が色分けされてますが
白い石畳までしか入れません。
黄色い灯籠は有田焼だそうです。
😅😅😅😅
富士見櫓下の石垣
雑に見えますが、
打込み接ぎと呼ばれる積み方です。
😆😆😆😆
また桔梗門に戻って来ました。
コチラの櫓門(右側)で
ストラップを返却して解散です。
😁😁😁😁
皇居とか皇室って
凄く遠い存在に感じてましたが!!
一般参観に参加してみると!
とっても身近に感じました。
😆😆😆😆
知らないコトを知るって
楽しいですね。
😍😍😍😍
今度は
秋の乾通り一般公開に
再訪しようかな~
🤩🤩🤩🤩