俺のもっとも大嫌いな言葉に「意味がない」と「でしょうね」の二つがある。
自分の物差しではとても計り知れない何かが、、
そこにはあるかも知れないというのに、、
「意味がない」とか「でしょうね」などという言葉では安易に物事を片付けたくはないし片付けて欲しくはない。
そう思わせてくれた出来事があったのです。
81年前の日本、そこには未来ある若者達が居ました。
しかし、彼ら特攻隊として生きることを自ら断ち切り、、
未来へその思いを託し、、
乾坤一擲に敵艦へ特攻していった。
そんな壮絶な戦争の過去が、、
この国にはあったのです。
ただ、史実を垣間見て強く思ったことは、、
若者ではなく、老兵から特攻させるべきではなかったのかという事でした。
この他にも特攻へは賛否両論色々有るとは思いますが、、
その結果はどうあれ、、
意味がない。とか、でしょうね。
なんて軽薄な言葉では決して片付けて欲しくはないのです。
国の未来を憂い、様々なものを断ち切り、見事に散華された若者達です!
現在を生きる我々は、その思いへ報い応えるため、今をどう生きるべきなのだろうかと、、
真摯に考えてみたい。
ただ何となく生きてるだけでは未来へ思いを馳せて逝った先人達へ申し訳無が立ちません。
少なくとも俺はそう思った次第です。
そして英霊達の足跡を紡ぎたくてやってきた地、、
鹿児島県知覧特攻平和会館。

修学旅行か何かかな、そこには学生さん方もたくさん来てました。


彼らはここ、特攻平和会館の様々な資料を食い入るように眺めております。

こういった若い子達の邪魔をしてはならん。
俺はなるべく若い子達の後ろで見学をさせてもらった。



秋田県からも結構な人数が特攻に出撃されていたのですな。
展示されてる資料に写真付きで記されてました。

特攻された英霊達の遺書や遺詠は全て展示されていたので全て読ませて戴きましたよ。

俺は今まで生きて来た中で、その瞬間瞬間をどう生きて来たのだろうか?
遺書を読んでいる内に深々と考えさせられたのです。
例えば、何かへ一生懸命に打ち込んでても結果を出せず評価も得れなかったとしても、、
それを「意味がない」とか「でしょうね」なんて言葉を用いて簡単には片付けず、、
小さな事へでもその瞬間瞬間は懸命に取り組む!
その過程にこそ意義があるんだと、、
やがてそれが後世へ意味を持つ事に繋がるかもしれないんだと、、。
せっかく生かせた命なのであれば、、
そう信じて何事へも真摯に後悔せずに取り組むべきなんだなと、、
俺なりにそう強く感じた次第です。
そして、、
「特攻の母」と呼ばれる人物が居た。








