儀式を終え、一段落した本日。

葬儀というのは、生きてる者の気持ちの整理の為に行うものだと実感した。
もちろん、あの世というものが存在するならば、彼女には最上クラスの世界に行ってほしいと切に願うし、もしかしたらその為の儀式かもしれない。
ただ、遺族ではない身近な人間にとっては、不謹慎ではあるが、落ち着いた、というのが正直な感想である。

私は、棺の中に思い出の品として、先日自宅で使用した麻雀牌の『西』を1牌入れてきた。

私たちが大学生の頃は、バブルが崩壊した頃ではあったが、まだまだバブル経済の勢いは止まらず、好景気の真っ只中であった。
永久低金利の神話が信じられていた頃、あぶれた億単位のお金が富士山の樹海に捨てられていた、など、今では信じがたいニュースまで耳にしたような、そんな時代である。
その頃の大学生と言えば、夏は高原でテニス・冬は雪山でスキーと、とりあえずその流れに乗っていれば、まま楽しい大学生活を送れた、そんな時代である。
そんなサークルが、学内外にとてつもない数で存在していた。
私は、とにかくそんな流れに乗って流されるのが大嫌いで、学内の友人からも何度となく勧誘されたが、ことごとく断り続けた。
結果、学内の友人はかなり限られた数となり、卒業時には片手で足りる人数になってしまった。

その頃、精を出していたのが、アルバイトである。
アルバイト先のメンバーがものすごく楽しく、こちらではとてつもない数の友人ができ、今でも付き合いがある。
彼女はその中の1人であり、やはり、そんなありきたりの大学生の流れに乗るのが大嫌いな、気の合う友人であった。

アルバイトが終わると、お酒を飲みに行ったり、私の家で麻雀を打ったり。
寝るときはパンツ姿の私の父が、そのまま出てきて挨拶された。
最初はかなりの困惑をしていたが、そのうち慣れてしまい、パンツ姿の父と仲良く話すまでになっていた。


ある日、いつもの様に麻雀を打ち始めた。
アルバイト代で支払える程度のレートだったので、大した額ではないが、それなりにお金をかけていた。
私は、ドラが暗刻の②⑤⑧待ちのテンパイとなり、リーチを打った。
すると、その日は負けが続いていた下家の彼女が、私を手招きした。手を覗いてごらんと。
見ると、2枚切れの西単騎で、四暗刻をテンパイしている。
ビックリした。
毎回毎回、ツモる度に、西だけは持ってくるな!と念じていた。

しかし、考えてみれば、私は三面聴である。
普通に考えれば、残り1枚の西に負ける事はまずないだろう。
それに、ドラが暗刻のチャンス手である。
そう簡単に負けてはいられない、と、自分の最後のツモ山に手を伸ばした。
ツモってきたのは、ドラの8である。
一瞬止まって考えたが、上家や対面に打っても仕方ないし、当然の様に暗カンした。

リンシャン牌には、彼女が待ち焦がれていた、西がいた。
生涯初めてあがった役満は、四暗刻単騎待ちで、そのままであれば決して場に出てくる事のないリンシャン牌=西で放銃、となったのである。
私自身も、生涯初の役満放銃であった。
大はしゃぎした彼女の声で、父が起きてしまい、うるさい!と怒鳴られたが、全員のお祭り騒ぎは止まらず、そのまま彼女の大勝ちで朝を迎えたのである。


そんな思い出がとても懐かしく、『西』とともに、今生の別れを告げた。
いずれ、私が死んだ時には、この1牌足りない麻雀牌を全て持ち、あの世で再会し、また麻雀が打てたら良いなぁと思いつつ。