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日本史的覚書

史跡をめぐるのが趣味な奴が更新します 

5月1日 南陽市を訪れた



【稲荷森古墳】


今から約1600年前の古墳時代前期につくられた

山形県第一位の大きさをもつ大型の前方後円墳

この古墳は古代置賜地方を支配した王の墓と言われる

全長96m 高さ(後円部)9.6m

石室ではなく木の棺を直接埋葬したと言われている



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上の写真は後円部からみた様子




【烏帽子八幡宮】


この時期、山形の桜が見ごろで

多くの観光客が訪れていた


千本桜 樹齢120年ほどのソメイヨシノなど1000本植えられている



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↑この石段が急で

 高所恐怖症の自分は足が竦んでおりました



【日本一の大鳥居】


神明造りのもので継ぎ目のない一本石のものでは

高さ10.75mと日本一

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…大きいなあ…(((゜д゜;)))



【烏帽子岩】


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【熊野大社】


南陽市宮内地区にある熊野大社は

日本三大熊野に数えられる


熊野大社から北へ約300m

「宮沢城」と呼ばれる館があり

最後の城主といわれるのが尾崎重誉という武勇に優れた人物


直江兼続の母の出自は、この尾崎氏で

重誉の曽祖父の娘といわれている


また、兼続は慶長9年熊野宮造営の大旦那であったとの記録が残されている


隣接する史料室には

伊達政宗の安堵状が展示されている


一目見てみようと思ったが

閉まっていて見ることが出来なかった



…時間を確かめて早めに見にいきましょうね←


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辰巳出版から出ている

「お城の地図帳」というのを購入


日本の城100選以外のマイナーな城まで取り上げられており

尚且都道府県別に書かれているため、分かりやすい構成になっている



「お城の地図帳」を見ていると

自分が今まで訪れたことのある城の数を数えたくなる


…ということで

暇人は、数えてみた


まず、実際に足を踏み入れたところ


柳之御所(平泉館)

久保田城

払田柵

横手城

金沢柵

角館城

山形城

米沢城

仙台城

小田原城

姫路城

首里城


12か所


そして、通り過ぎたところ(ちら見したところ)は


桑折西山城

白石城

江戸城

二条城


4か所


山形にいる間長谷堂城・館山城跡には行きたい…






11月18日の講義


【回想録】


お楽しみの歴史考古学

今回は、高校の教科書では取り上げられない陣が峯城について


陣が峯城とは…

福島県会津坂下町にあったとされる城


なんでも、陣が峯城跡はミステリーゾーンなのだという


①二重のV字掘り

②土塁

③総柱建物

④分銅が発掘される


磁器が大量に出土

炭化した「握り飯」も出土


「握り飯」について

先生曰く以下の様な推測ができる


ご飯を食べる際に夜討ちをかけられ、


「ヒャッホイ!!」


と攻められ、

握り飯を釜戸(囲炉裏?)に放り投げてしまった


少々妄想も入り込んでいるが←


ちなみに「ヒャッホイ!!」と言った先生のテンションが異常に高く

「ヒャッホイ」の「ホ」のアクセントが強かった


ゆえに正しい表記は


「ヒャッイ!!」  と、なるのである


蛇足の多い話になって恐縮



そもそも、陣が峯城は、誰の居城だったのか


大きく3つに分けると


Ⅰ期 摂関家の代官

Ⅱ期 城氏

Ⅲ期 藤原秀衡   となる


私は特にⅡ期目の城氏の話に興味を持った

地元の方は、陣が峯城のことを

「城の城」と呼ぶらしい


castle of Jou

「じょうのしろ」  である


城氏というのは平氏の流れをくむ

越後城氏のことだが


実は、越後国にいる前は出羽国(現在の秋田県)にいたのだという


私は秋田県民だが彼らのことは知らなかった…



清原氏らの台頭により

「秋田城介」となっていた城氏は越後に南下した



そして、彼らは越後から会津に赴き

陣が峯城を築いたのである


そんな経緯がある



城氏の滅亡は以下の通り


越後守城長茂が横田河の戦いにおいて木曽義仲と対戦するが

奇襲戦法に破れ、これ以降その勢力は急速に衰退する


義仲や源頼朝ら源氏により平氏が滅亡したあと、

長茂は梶原景時を頼り鎌倉幕府の御家人として仕えるも

叛乱を企てて建仁の乱を起こし、長茂は京において幕府軍に討伐される


※参考資料 ウィキペディア



城氏については、伝説化されている記事もあって

今昔物語集にも書かれているという


機会があったら

詳しいことを調べてみたいと思った




大学行ってないと

一日終わるのが遅い


と、いうことに気付いた今日この頃


今日は、半日ほど自動車学校におりました




これまでの経緯を話すと


昨日、

修了試験を受けに自動車学校に行った

大学の授業、午前だけ出ない予定だった


しかし


試験開始5分も経たないうちに試験強制終了


なぜなら…

信号無視したからである


暫く立ち直ることが出来なかった

S字やクランクで脱輪して失格の方がまだ良かった


単純な所で

ミスをし、ふがいない


人目を憚ることなく泣いた

センター以来だ こんなに泣いたの



ショックだった



受付の人の優しい言葉にまた涙

…最早、私は何故泣いているのか分からなくなった



補習を受けた

それから、学科試験の勉強会に出た


帰る際、教官から励ましの言葉を貰ったが

不安だった


実技に不安が残る



ツイッターでも呟いたが

自分に対して憤りを覚えた


皆から「落ち着け」という言葉を貰いなんとか

落ち着くことが出来た  謝々



そして、

今日再び検定を受けた



無事受かった




よーし!晴れて自由の身だ!

まだ終わってないが…



午後から一人カラオケに行こうかと思ったが

2時間後に「教習入ってます」と受付嬢から言われ…orz


いったん帰宅した後

再び自動車学校へ



初端から

実技が入っていた


初めての路上

時速60kmに慣れると楽しい


初めて楽しさを覚えた瞬間だった



教官と、どうでも良いような会話も出来た



「あ、ここのラーメン美味いんだよな」

「この店、大泉洋来ませんでしたっけ?」

「え?そうなの?」

「番組で」

「大泉洋って面白いよな」

「近藤長次郎やってましたよね」

「あー…あんま大河見てないなー去年は見てたけど

天地人?あの、コウシロウくんだっけ?あの子の印象が強くて」

「清史郎くんです」

「凄いよなーあの子」



・・・

でもまあ、雑談する機会なんてないから

楽しかった


運転はボロクソだったが←





















11月11日 演劇公演本番


4時限目終了後、

リハーサルをする劇団員達に挨拶


彼女たちに

緊張の色というものは、微塵も感じられなかった

多少緊張はしているのだろうが、

部外者からすれば、流石、役者


そして、裏方の和やかさ


舞台を楽しんでやろう、という意気込みが感じられた





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円陣を組む


皆の心を一つにし

いざ、本番



吉四六も、初めてのアナウンスということで

ワキ汗びっしょり


なんとか成功



あとは舞台の成功を祈るばかりであった


現場監督から託されたデジタルカメラで

ガチガチになりながらシャッターを切る



途中、ハプニングはあったが

アドリブで上手くかわしたり、動きをオーバーにやってみたり



まさに職人芸!!!!!


そして、…輝く笑顔  



無事、舞台は終了


撤収した後、駐輪場で、反省会

監督はひたすら、皆の良さを引き出し、評価していた

本当に観察眼が鋭い、この人


「おまえ何歳だよー!」というツッコミもwww



実は、今回のメンバーは、この公演をやるために集まったメンバーで

公演に携わるまでほぼ関わりがなかったらしい


でも、この団結力は凄い


本当に稚拙でありきたりな言葉になるが

凄いとしか言いようがない



奇跡だ



打ち上げ座談会(酒込み)をやるらしいが、

大分カオスになりそうだ



帰りに、

近所の食堂で会食


アンケートに目を向け、各自の改善点を

導き出す様子にも感服いたしました…



そして


また機会があったら…協力させてくれ←