日本史的覚書 -20ページ目

日本史的覚書

史跡をめぐるのが趣味な奴が更新します 

2011年がやって参りました…



皆様、寒中お見舞い申し上げます 今年もよろしくお願い致します




私は、正月の間、帰省しており

想像以上の積雪に驚きました…



毎年恒例、親族が集い、談笑

私の母の実家にて


母方は、髪の薄い家系

私の母の父、(すなわち祖父)、そしてその兄弟は

失礼だが、頭がだいぶ後退気味



2人ほど「おヅラさん」がいらっしゃいます



遂に…

私の母の兄(すなわち伯父)も生え際が薄くなり…


従弟(高2)が「俺、ハゲる?」とやたら気にしていた

…丸刈りに近い髪してるから多分大丈夫じゃね?




・・・

そんな話はさておき


新年早々、卓球をした

伯母が、最近ハマっているらしく娘2人相手に深夜1時まで

家で卓球をしていたという


私も卓球好きなので

一緒に近くの施設に行き、一時間卓球をした



侮っていた



伯母の機敏な動きに、ど肝を抜かれた…



…お陰さまで、完敗でございますよ ハイ



従姉2人ともやったが、伯母が一番強かった…

多分、一生伯母には敵わないだろうな















本日は、ホワイト・クルシミマス

いや、クリスマス




なんてタイミング良く雪が降るんだろうかorz


昨日は、名ばかりクリスマスパーティ(忘年会?)を友達の家で催した



後先のことを考えなかった私は、

自転車で友達の家に行き、泊まり、自分のアパートに戻らず


公務員講座をそのまま受けようと思ったのだ






朝になり



雨降ってる・・・

ん?雨・・・?




おい!!! 雪じゃねえか 



雨雪がいつしかぼた雪に変わり、みるみるうちに

銀世界



銀世界というのは聞こえが良すぎるwww



興ざめの域に達している




風が強いのは嫌だ

風がなく、穏やかに、しんしんと降ってほしいと願う今日この頃







今日の歴史考古学は、珍しく、メジャーなお城が取り上げられた

前回は、安土城


と、くれば、大坂城!



大坂 実は、信長が狙っていたところ

秀吉が、信長の遺志を受け継いで築城


現在の天守閣は、鉄筋作り


小学生の頃から歴史ヲタだった先生は、弟さんに、得意気にこう語った

「今の大阪城ってさ、豊臣秀吉が作ったんじゃないぜ 大工さんが作ったんだぜ」と


数日後…


弟さんが、

「おにいちゃんのうそつき! 」と言って学校から帰ってきた

社会のテストに大阪城の問題が出題され、

「誰が作ったか」と答えさせる問題で 素直な弟さんは「大工」と書いたそうだ


小学校の先生的には、「豊臣秀吉」と書かせたかったらしい



まあ、厳密に言ってみりゃ、当時の大坂城も大工さんが作ったことに

間違いないんだけどね



・・・と、まあ、そんなエピソードがあったそうだ




そもそも秀吉は、何のために大坂城を築城したのかと言えば

簡潔にいえば、

①大坂をポート・タウンにしたかった

②内裏を大阪に移転したかったから

③黄金の城造営


②の野望は叶わなかった

大坂を都にしようと考えたが、実現できなかったため、平安京大内裏跡地に

聚楽第を作り、最終的に甥秀次に与えて秀吉自身は伏見で隠居


その後、秀吉に嫡男秀頼が生まれ、

秀次、聚楽第共に地球表面上から姿を消した(先生の言葉拝借!)



大坂城の末路…

大坂夏の陣で落城し、豊臣氏滅亡


徳川氏によって再建されるも、

豊臣時代の遺構というものは埋められた


ここ数年前、豊臣時代の大坂城天守閣が描かれている屏風が

オーストリアにあることが判明


極彩色の「極楽橋」なるものが確認でき、

豊臣時代のものだと分かった



ふむふむ


鉄筋であろうが、大阪城には一度行ってみたいものだ












米沢八湯の一つ小野川温泉へ



日本史的覚書

高砂屋さん



旅館の構造が好きでした…

レトロな感じが…


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小野川温泉には小野小町の伝承がある

上の石は、「小町の休み石」と言われている




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「飲泉のすすめ」とあったので

飲んでみた



月並みな言い方かもしれないが


硫黄の香りがした



伊達政宗も湯治に訪れたといわれる小野川温泉

美人湯でも有名なので


美しくなりたい歴女の皆さんは是非!



あ、豆腐屋さんの豆腐ソフトも美味しいので

こちらもオススメソフトクリーム

【回想録】


本日の歴史考古学で取り上げられたことについて


今日は、幻の安土城


織田信長が琵琶湖を臨む要衝の地・安土山に築城

5層7重の天守は金箔に覆われ、狩野派による障壁画で

飾られたと伝えられる


本能寺の変の後に謎の失火で焼失した


この謎の失火というのは、明智光秀が入城したときとされてきたが、

光秀の後に、信長の息子が入城した、という記録があるらしく、

この時期に安土城が焼けたのではないかと言われている



この安土城の発掘が行われたのは、

戦前からで、90年代には金で覆われた瓦や大手道が発掘された


大手道というのは

大手門まで連なる階段


現在、その大手道は復元されており、先生曰く、きつい石段だという



何年か前、先生が大手道の階段を下りてくるカップルとすれ違った際


女性が男性に

「どうしてこんな所に連れてきたのよ!」と激怒



…安土城はデートには向かない。

互いに歴史好きとか城好きだったらまだしも…


信長はクリスマスの頃に天守閣から提灯をぶら下げ、イルミネーション紛いのことを

やっていた、という記録があるとか…


安土城が現存していたら

横浜に並ぶ(リア充の為の?)観光名所となったに違いない


イルミネーションを見るためだったら激怒した彼女も彼の後を

喜んでついていったかもしれない…





OH,信長サマは狂ってマースwww

ルイス・フロイスは、こう思っていたに違いないwww←




おまけ



今日、史学実習で、米沢織の工房の見学に行った

染料を使って、絹糸を染める実演や、貴重な作品を見せていただいた



宮沢りえが出ているあのお茶のCM

彼女が着ている着物は、米沢織なのだ!


米沢織の存在自体は目立たないが、意外なところで使用されている



今回、貴重な米沢織に触れ、伝統の技法に触れることができて良かった