結城豊太郎(1877-1951)
山形県赤湯村(現南陽市)出身
東京帝国大卒業後、日本銀行に入社
第一次世界大戦後の恐慌期に手腕をふるう
1921年 安田保善社入社
1930年 日本興業銀行総裁就任
1937年 林銑十郎内閣蔵相就任
林内閣の崩壊後は44年まで日本銀行総裁をつとめた
今日、山形県南陽市にある結城豊太郎記念館を訪れた
筆者は、結城豊太郎の業績どころか名前も知らなかった
無知であったことを大いに反省して書いていこうと思う
結城は国の為に尽力した銀行家、財政家の印象が強いが、
一方で故郷・赤湯に上水道敷設や教育事業に貢献した人物でもあった
彼の言葉に
「ふるさとは国の本なり」という言葉がある
国を木に喩えるなら、ふるさとはその根幹であるべきだという
ひと、それぞれがわが身を修め、
自分の立派な「ふるさと」作りをしましょう。
それぞれの「ふるさと」が立派になってこそ、国全体がよく治まり平和な世となるのでしょう。
そうした念願から、まず「ふるさと」を本と考え、その充実発展に生涯尽力されたのが、
結城豊太郎翁でした。 (南陽市HPより)
東日本大震災からまもなく1年
「ふるさとは国の本なり」という言葉が心に響く
これからも支え合いの精神を忘れずに、
被災地、他地方自治体が一丸とならなくてはならない
地方から国へ働きかけることが今後も要求されるだろう
地方から変えなければ国は変わらない
そんなことを考えた一日であった


