妄想の再会の絵-つづき♪
性懲りもなく、今夜も妄想劇♪前置きなくいきますみなさんご存知のように、マンガの最後はポニーの家にキャンディが帰ってきて終わってます。だからその後、Final Storyのテリィの手紙がキャンディの元に届いたのもポニーの家と考えるのが自然かなと思います。それで先日の『再会の絵』はポニーの家を載せました~でもでも。キャンディがテリィの待つニューヨークへ行くってのも私の中では あり!です~そこで浮かんだ『絵』 「テリィーーーー!!!」「キャンディーーーーー!!!」しっかり抱きしめてますねっ人をかき分けテリィに飛び込むキャンディしっかり受け止めて、ついでに? くるくるまわすテリィ私の妄想は。。。「テリィーーーー!!!」「キャンディーーーーー!!!」と、二人が求めあう姿でして。。。場所はどちらでも、他の場所でも良いんです。 すみませんだってね、この二人を見てくださいっだきしめたい! だけど・・・スザナに「テリィをはなしちゃだめよ」と、にこやかに言って出ていった後・・・Final Storyではこの場面はないので声をかけたのかは不明だけど、去る前に「もうテリィとは会わない」約束をしてるんですよね。。。まだ10代の二人に、こんな試練を与えるなんて。大変な人生です。なので私は二人の再会は心の底から求めあって欲しいなーーーと。。 願いますこれは私の妄想ですので・・・ご了承を。。。(-人-)それでですね、先日のブログにて、テリィからの ”ぼくは何も変わってない” のラブレター を受け取る前、スザナの死を知ったときからの期間、どう過ごしていたんだろう?? に、密かに様子をうかがっていたかも~。。。と書きました。テリィはスザナのそばにいたので1年半ですけど、キャンディがスザナの死を知ったのも同じく1年半前とは限らないと思うんですよね。テレビやネットのない時代ですからだから様子をうかがうといっても、そう大したことはできなかったようにも思います。でもでも。あのキャンディですから~。 「あの」って?それはこちらです。まずはこれ。 テリィと叫んでも気付かなかった。。。もう夜中だし、病院へ帰れば良かったものを。。。テリィの泊まるホテルを夜通し探し歩く。次は遡りまして~ 学生牢から解放されたけど、部屋で謹慎中のはずなのに・・・ターザンしてテリィの部屋へやってくるの図。そしてこちら。 おこずかい全部使って走らす馬車。港で会えなかったからと、ついに・・・ 密航!この行動力? 並みではありません。スザナが亡くなったと知った後、きっとテリィのことを考えたでしょうし、会いたいと絶対思ったはず。思ったらきっと、頭より行動が先のキャンディのことだから・・・どうしてるんだろうと様子をうかがっていたのでは~と妄想してます。Final Storyを読む限り、ずっとテリィのことを心の奥底で想っていたと思いますので。。。実際に会ったのはテリィからの ”どうしてもこれだけは伝えたかった” のラブレター が届いてからですよね。テリィはキャンディがどうしているか、どこに住んでいるかも確信なく手紙を出してますもんね。キャンディキャンディの物語は『生きること』がテーマになってると思うんです。皆さま思っていることでしょうけども、私もそう思います。だから少女漫画なのに? バンバン人が亡くなる場面を出してくる。。。そして 死ぬってことがどういうことなのか。 容赦なく描いてる。スザナに対して、キャンディの漫画での言葉。生きていて。生きてるって素晴らしいことよ。マンガではスザナはキャンディに、二人のじゃまをするから死のうとしたと語ったあとで、テリィが抱き上げてくれたとき、生きたいと思った。この人のそばで生きたい。 と、そう涙を流して伝える。Final Storyではそのセリフはないけど、スザナの手紙の中で、テリィは命。生きる希望。と語ってる。その前に、泣いてあやまってばかりいるスザナに、テリィは「ずっとそばにいる、これからも」そう言ったと書かれている。スザナがあやまったことって、自殺しようとしたことですよね。自殺しようとしたことが、二人の別れを急速に早めたことは確かですから。自分のために二人が別れを決めたことを知っても、そのテリィの言葉にすがった。スザナはテリィがキャンディのことを強く思っていることは知っていたけど、キャンディも同じくテリィを想っていたことは知らないのか。。。そう思える文面ですよね。どれだけ苦難を乗り越えてきて、テリィとどんな風に惹かれあっていったのか知らない。まー知らなくても当然だとは思うけど。。。スザナの手紙はとても柔らかな表現で書かれているけど、、、内容はかなりハード。 キャンディが可愛そうに思えてくる。アンソニーが死んだことを、死んだ人は戻らない、二度と会えない。そのことをキャンディに体感させたのはテリィ。死んだ人とは会うことはできない。忘れるんだ。と。心にずっと生き続けるけど、触れ合うことや語り合うことはできない。それが「死」。人は生きてこそ、その先の人生がある。スザナがFinal Storyで亡くなったことは、そこでスザナの物語は終わり。その先はない。二人の中にスザナという存在は残るだろうけど、忘れていい。この先の人生は生きている二人が紡いでいくから。そんな風に私は感じました。『生きていてこそ』曲がり角を曲がれるのも、その先に待っていることを体感できるのも『生きていてこそ』ですよね。人が死ぬのは当然のことで、誰もがいつかは死ぬんですもん。そこに多くの意味を探す必要はないように思いました。いつかはこの人生の終わりのときがくるから、今を大切に、生きている今を充分に楽しみましょう大切な人がいる方は、思いっきり大切にしましょーーー最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。*画像は全てお借りしました。 マンガ『キャンディ・キャンディ』のキャンディが30代になり、愛するあのひとと暮らしていることが書かれている小説、Final Storyの復刊を願い、Xで投票活動をしています。私もそうですが、リアルタイムでマンガを読んだもののその後ずっと手にすることなく、近年になってFinal Storyの存在を知ったが既に絶版。そして今もなおFinal Storyの存在を知らないキャンディ世代の方々も、まだまだいると思われます読むと手元に欲しくなる、何度でも読みたくなる、そんな小説Final StoryX拡散にご協力をよろしくお願いします X(旧Twitter)mum『”2024年5月7日更新めざせ☆ FINAL STORYの復刊!” 復刊に願いをこめて♡』また借りてきました~何回目~いつもとは違う図書館に移動してたので、読んだ後は元のいつもの図書館に返却しておこう~(笑)世間では明日から3連休ですね。私も・…ameblo.jp