【題字のイラスト】 間瀬健治   

 

紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
ぶん理解の対話
②会員ほうの精神
③御書を学ぶ姿せい

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられたしゅぎょくの名言を紹介する。次回は、第7巻の「基礎資料編」を4月2日(火)付にけいさい予定。(第6巻の「基礎資料編」は3月6日付、「名場面編」は13日付、「御書編」は20日付に掲載)

 

 

悠久の歴史を見守ってきたエジプトのピラミッド(1992年6月、池田先生撮影)。第6巻の「遠路」の章では、同国の初訪問の模様がつづられている

 

 第6巻「ほう」「えん」の章では、山本伸一が1962年(昭和37年)1月から2月にかけて、イラン、イラクなど、海外7カ国を訪問した様子がえがかれています。
 訪問の目的の一つは、宗教事情のさつでした。中東はイスラム教はっしょうの地です。伸一にとって、イスラムの文化や歴史をはだで感じることは、世界広布をてんぼうする上で、きわめて大切なことだったのではないでしょうか。
 同年1月30日、伸一は「人間の精神のちからによって、人類のゆうごうと永遠の平和をひらこう」(29ページ)と、イラン・テヘランに中東訪問の第一歩をしるします。その道は、「遠く、はるかなどうていではあるが、だんじて進まねばならぬ、彼の使命の道」(同)でした。
 「遠路」の章の最後には、「広宣流布の道は、遠路である。遠路なればこそ、一歩一歩の地道なあゆみが大事だ。遠路なればこそ、何ものにもくじけぬ、信念と勇気の火を燃やし続けることだ」(163ページ)としるされています。この一節を、私たちは心にきざみたいと思います。
 中東訪問の場面では、ぶん理解と文明間対話という重要なテーマについてつづられています。
 神のゆいいつ絶対性をくイスラム教との対話はむずかしいのではないかとの同行した青年部の質問に対し、伸一は「同じ人間として、まず語り合える問題から、語り合っていけばよい」(59ページ)と答えます。
 さらに、「大聖人をはじめ、しゃくそん、イエス・キリスト、マホメットといった、各宗教のそうしゃいちどうかいして、『会議』を開けば、話は早いのだ」(60ページ)との戸田先生の言葉を引用し、「現在の人びとが、民衆のきゅうさいに生きた創始者の心に立ち返って、対話をかさねていく以外にない」(61ページ)と語っています。
 人間としてたがいをみとめ合い、語り合っていく対話こそ、異文化理解を深める上で最も大切な心構えなのです。
 また、エジプト訪問のおりには、ある学者と文明についての対話がり広げられます。学者から「高度に発達した文明をもった国々がほろび去った共通の原因」(129ページ)を問われ、伸一はこう答えます。「一国のめつぼうの要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにあるととらえています」(130ページ)
 ていりゅうで歴史をつくり、歴史を動かすのは、人間のきょうじんな意志の力です。このてんで歴史を見るならば、「歴史はたんに過去の出来事ではなく、人間の生き方の、現在と未来をらし出すみちしるべとして、光をはなつ」(同)のです。

 

みんしゅうせいのドラマ


 さて62年は、学会員によるきょうの波がいちだんと加速していた時代でした。「加速」の章では、社会のかげともいえる福岡市の“ドカン”地域でのメンバーのせいのドラマが描かれています。
 けいざいや病気など、多くののうかかえた“ドカン”地域の人々にとって、信仰は希望の光となり、生きる勇気をもたらす力となりました。各人が信仰で得たと勇気で努力を重ね、数々のどくの体験が生まれました。
 彼らの生きる力となったのが、山本伸一の指導でした。「メンバーは、聖教新聞にけいさいされた、伸一の会合での指導や御書講義を、むさぼるように読み、信心を学んでいった」(185ページ)のです。
 伸一の心は常に、最も大きな苦悩を抱えた人々に向けられていました。幹部に対して「苦労している同志のことを、いつもづかい、はげまし、勇気づけ、にして、ほうしていくことです」(199ページ)と指導します。さらに「私ともきゅうを合わせていただきたい。私と呼吸を合わせていくには、広宣流布の全責任をになおうとする、強い一念をもつことです」(同)と語っています。この「会員奉仕の精神」こそ、学会のこんぽんです。同志にくしく「心」が、皆をしていくのです。

 

おうていの一念


学生部の代表に「御義口伝」を講義する池田先生(1962年8月31日、東京で)。「若鷲」の章には、学生部への薫陶が始まった当時の様子が描かれている

 

 「わかわし」の章では、伸一が学生部員のようせいこたえ、「おんでん」講義を開始した場面が描かれています。
 伸一は学生部に対して、たんきゅうしんをもってほしいと念願します。「さまざまな思想・哲学とかくそうたいすればするほど、そのしんが明らかになるのが仏法である」(329ページ)からです。
 そのことに、だれよりもいどんできたのが、伸一自身でした。第3巻の「ぶっ」の章で釈尊を、第5巻の「かん」の章でイエス・キリストを、そして第6巻の「宝土」の章でマホメットと、世界三大宗教の創始者のしょうがいを描いています。インド、ヨーロッパ、中東をめぐる中で、いかに世界広布をしんてんさせていくのかをさくしていたのです。
 また、「若鷲」の章で重要なのは、御書を学ぶ姿せいです。ここでポイントを2点挙げたい。
 第一に、御書は信心ではいすることです。学生部員に、伸一はきびしく指導しています。「御書をはいどくする場合は、まず“真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、信心で求め、信心で受けとめていこうとすることが大事です」(338ページ)。さらに、「西洋哲学は“かい”から出発するといえるかもしれない。しかし、仏法を学ぶには、“信”をもって入らなければならない」(同)とも語っています。
 第二は、御書の通りじっせんしていくことです。「御書は、しんさんごうで拝していかなければならない。御書におおせの通りに生き抜こうと決意し、人にも語り、実践し抜いていくことです」(同)と述べています。
 伸一は、義務感で御書を学ぶのではなく、の使命を自覚し、のうどうてきに研さんをしていくことをけています。そして、「学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、このおうていの一念です。せいに流され、いやいやながらの、ちゅうはんな形式的な信心であれば、本当のかんも、幸福も、成仏もありません」(359ページ)と語っています。
 「能動」の信心に、自身の成長も、信仰の歓喜もあるのです。
 ◇ 
 第6巻が「聖教新聞」にれんさいされたのは1996年(平成8年)9月から翌年4月までです。当時、学会にはれつなデマやちゅうしょうあらしいていました。
 「ろう」の章に記されています。「ざんげんを打ち破るものは、真剣さです。ぜんせいこんかたむけたせいめいさけびです。全員が一人立ち、となって、学会の正義と真実を語りに語り、うったえに訴え抜いていってこそ、勝利を打ち立てることができるのです」(257ページ)と。
 広布とは、学会の真実をせんようするげんろんの戦いです。「おうの心を取りいだして」(御書1190ページ)、力強く創価の正義をしていきましょう。

 

名言集


いっしゅん一瞬をねんしょう
 えいごうの太陽のかがやきもいっしゅん一瞬のねんしょうの連続である。使命に生きるとは、しゅんかん瞬間、わが命を燃え上がらせ、行動することだ。(「ほう」の章、77ページ)
 
●人間関係を広げる
 人間は、ともすれば古い友人とはえんになりがちである。また、古い友人との交流があれば、新しい友人をつくろうとはしないものだ。しかし、人間を大切にし、人間関係を広げていくなかで、新たな世界が開かれていく。(「えん」の章、90ページ)
 
●真実の仏法の道
 幹部は、自己中心的な考えやきょえい心をてて、てっして会員にくしこうとの一念をさだめることです。そこにこそ、真実の仏法の道がある。(「そく」の章、200ページ)

●幸福の根本条件 
 真のしんこうとは、“おすがり信仰”ではない。自分の幸福をつくるのは自分自身である。ゆえに、どんなきょうにあっても、自分で立ち上がってみせるという“けじだましい”こそ、幸福の根本条件である。(「ろう」の章、300ページ)

●広布は永遠の流れ
 広宣流布は、たいにもた、永遠の流れである。いく十、幾百の支流が合流し、大河となるように、多様さいな人材を必要とする。そして、いかにかわはばを広げ、おだやかな流れの時代をむかえようとも、だくりゅうすことなく、みきったせいりゅうでなければならない。(「わかわし」の章、368ページ)

 

 

※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 

(2019年3月27日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より