【題字のイラスト】間瀬健治   

 

バビロンの遺跡にあるライオンの石像の前で(2月1日)

 

トルコ最大の都市イスタンブールで(1962年2月)

 

エーゲ海を臨むアテネ郊外の港で語り合う(2月5日)

 

ピラミッド視察に向かう(2月7日)

 

 

物語の時期 1962年(昭和37年)1月27日~8月31日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は13日付、「御書編」は20日付、「解説編」は27日付の予定。

 

ほう」の章


イラン・テヘラン

 

 1962年(昭和37年)1月29日、山本伸一は、仏法のヒューマニズムをもって、世界を永遠の平和の「ほう」に変えようとのちかいをむねに、初の中東ほうもんへ。出発の前々日、彼は、学会員でアラブ研究の第一人者である河原かわらざきとらぞうこんだんし、ともに未来のために平和・文化の橋をけようとはげます。
 一行は30日、最初の訪問国であるイランにとうちゃく。首都テヘラン市内をさつする。夜、イスラム教の開祖であるマホメットのしょうがいや、しゅうきょうとの対話の重要性について話し合う。
 伸一は「対話の目的は、どうすれば、みんなが幸福になり、平和な世界を築いていけるかということだ」と述べる。そして、世界宗教のそうしゃみなはくがいのなかで、みんしゅうの幸福のために戦ってきており、現在に生きる人びとが、その創始者の心に立ち返り、対話を重ねていくことが世界平和のために必要だとうったえる。
 イラクをおとずれた一行は、クテシフォンのせきで、現地の青年や子どもたちと語り合う。また、バビロンの遺跡では、古代の王朝のはんえいに思いをはせ、広布とは、新しい未来の文明をつくるそうだいなロマンだと語る。

 

えん」の章


ギリシャ・アテネ

 

 伸一の一行は、2月2日、トルコへ。彼は、日本との友好の歴史をかえりながら、“国家げん”の交流も大事だが、“みんしゅう次元”の交流こそこんぽんであると述べる。翌日、ドルマバフチェきゅう殿でんなどを見学する。
 4日には、ギリシャに。アクロポリスなどをさつし、ソクラテスがとうごくされたとされるろうを見学。伸一は、「民主制」についてさくめぐらせ、民衆をそうめいにすることが、民主主義のりょうてんせいであり、それをおこなっているのが学会であると語る。
 次のほうもん国エジプトでは、ギザのピラミッドなどをめぐり、ホテルにもどると、電報がとどいていた。大阪事件の第いっしん判決に対し、検察の「こうなし」とあった。ついに彼の無罪が確定したのである。
 2月11日、伸一は、恩師・戸田城聖のたんじょう日をパキスタンでむかえた。かつて同地にいたったアレキサンダー大王のえんせいげんきゅうし、だいな指導者の心を知り、同じ“こころざし”をしょうがい持ち続けることの大切さを強調。恩師からたくされた、広布の「えん」を進む決意を新たにする。
 、訪問したタイと、経由地のホンコンで、支部の結成を発表する。

 

そく」の章


 

 福岡・博多港のて地にっ立てが立ちならぶ“ドカン”地域は、あんも悪く、不幸に苦しむ人びとが多かった。学会のきょういきおいは、300万世帯たっせいに向けて「そく」。ここでも、次々と学会員がたんじょうし、しょみんせいげきが生まれた。
 彼らの生きるちからとなったのが、山本伸一の指導であり、同志のはげましであった。学会は、全国各地でみんしゅうよみがえらせ、現代社会を、こんていから変えようとしていた。
 2月の本部幹部会では、この月、学会はじまって以来、くうぜんきょうげたことが発表される。伸一は、新会員のいくせいのため、てっていして教学運動にちからを入れていく。彼は、中国、四国と同志のげきれいほんそうし、4月2日、戸田城聖の五かい法要をむかえる。席上、「大悪こればだいぜんきたる」(御書1300ページ)のもんはいして、広布へのかくれきする。
 5月3日、広宣流布の新しいとびらを開き続けてきた伸一の、会長しゅうにん2周年の歩みをきざむ第24回総会がかいさいされた。彼は、“創価学会は日本のはしらとなって、個人の幸福のため、社会のはんえいのために、鉄の団結をもって、堂々と前進を”とうったえる。

 

ろう」の章


 

 6月2日、伸一は香川県での四国本部幹部会に出席。前日、伸一の出席をぼうがいするきょうはく電話が学会本部に入る。彼は、自分がたてとなって、ぶっを守る決意で幹部会に参加する。3日は岡山県で行われた地区部長会で、「いっさくじつ御書」を講義。けんざんげんに対して、師子となって、学会の正義と真実を語りこうと指導した。
 7月、第6回参議院議員選挙の投票が行われ、公明政治れんめいは大やくしんし、参議院で第3の勢力となる。このころ、各地で公政連のえん団体である学会への悪質ないやがらせがひんぱつ
 なかでも秋田県のさりざわ鉱山と長崎県なかざと炭鉱の労働組合では、学会員の「組合じょめい」となって現れた。組合員である学会員が、組合すいせんこうよりも、公政連推薦の候補をおうえんしたことが原因であった。
 同志は組合の不当なじょめい、そしてかいに追いまれながらも、「しんきょうの自由」をうったえて戦いく。尾去沢鉱山では、組合と和解。中里炭鉱では、炭鉱へいざん後もほうていとうそうが続くが、さいこうさいで全面しょうを勝ち取る。この事件は、いよいよ学会が、時代の建設という、「ろう」がたける大海に乗り出したことを意味していた。

 

わかわし」の章


 

 伸一は、学生部に対する本格的なくんとうを開始した。『大白蓮華』4月号のかんとうげんに「学生部にあたう」をしっぴつ。学生部の使命は広宣流布の「せん」にあることを明確にする。また、新たな未来へのじんれつを築くため、学生部代表への御書講義を決める。
 7月の、第5回学生部総会で伸一は、日蓮仏法とその他の思想・てつがくてっていしてかく研究し、「“人類をすくる世界最高の哲学は、たしかにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大てつむねに、みんしゅうの味方となり、不幸な人びとを救うために、しょうがい、生きいていただきたい」とうったえた。
 8月31日、学生部の代表に対する第1回「おんでん」講義が開始された。伸一は、講義を通して、恩師・戸田城聖に代わって、次代の指導者たる学生部に、大聖人の仏法の大哲理を示そうと全力をそそいだ。
 講義は、伸一のたましいと、受講生の心がとけ合う“生命のようこう”ともいうべきものとなった。彼は、この受講生たちが、世界広宣流布の新しい夜明けを開いてくれることを確信していた。事実、「わかわし」たちは、使命の空へ大きくばたいていく。

 

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

 

(2019年3月6日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より