論RON――日蓮仏法の視点から 第20回 地涌の菩薩の
御聖訓
「
中国男子部教学部長 宮地 俊和
新時代を担う大学校生が躍動
春4月――。新出発の季節が到来し、多くの人が清新な決意を抱く。希望に胸を膨らませて、新たな挑戦を開始する時、その生命は春の大地の
“救われる人”から“救う人”へ
◆ オタクの集まり?
幼少期の私は病弱で、ぜんそくの発作に苦しんだ。そんな私に、信心
母の祈りもあり、やがて、ぜんそくは完治。だが、思春期を迎えると、信仰に対して暗いイメージを抱くようになり、“創価学会はオタクの集まり”だと思い込んだ。
学生時代、信心に後ろ向きだった私の元に、足しげく通い続ける学生部の先輩がいた。居留守を使ったり、追い返したりしたが、全く諦める様子がない。あまりの執念に“一度だけ顔を出せば、もう来なくなるだろう”と思い、18歳の時に初めて会合へ参加。これが人生の転換点となった。
そこに集っていたのは、“オタク”ではなく、普通の学生たちがった。“今風”の金髪の人もいた。そんな彼らが「会計士を目指します」「バーテンダーになりたい」と、口々に将来の夢を語っていたのだ。しかも、皆が明るく元気で、自身の考えを率直に述べ合っているのに驚いた。
特に目的もなく、何となく毎日を過ごしていた私にとって、それは衝撃的な光景だった。若い世代が宗教を実践
◆
池田先生の指導を学ぶうちに、私が経験した衝撃は、「
「ここで『動執生疑』について、述べておきたい。“聞いたことはあるが、よくわからない”――そういう人もおられるかと思う(笑い)。そうしたあいまいな点について、一つ一つ、明確にしていく習慣が、自分自身を充実させていく」(『池田大作全集』第83巻、108㌻)
「『動執生疑』とは“
わかりやすく言えば、小法への執着など、これまでの執着や、とらわれを
「動執生疑」は、
ここで、「法華経」の
そもそも、法華経は、「釈尊
釈尊の説法を聞いていた菩薩たちは、
ところが、涌出品の冒頭で釈尊は「
「なぜならば、この
その時、大地が裂け、金色に輝く無数の集団が現れる――これが「地涌の菩薩」である。六万恒河沙とは、インドのガンジス河の砂粒の数の6万倍で、無量の数を現す。そのリーダーは、
すると釈尊は「
他方の菩薩たちは、それを聞いてさらに驚く。“世尊は、
弟子たちの間に、当然の疑問がわき起こったことを、先生は、こう解説している。
「“なぜ釈尊が成道してからの短期間に、これだけ多くの菩薩を教化できたのか?”と。
この疑問に答える形で、
地涌の菩薩は、釈尊よりもはるかに年を重ね、立派な姿をしていた。それまでの弟子たちは、釈尊が、地涌の菩薩をわが弟子であるというのは、青年が老人をさして「我が子である」ということと同じではないか、と疑った。
そこで大衆を代表して、
弟子たちの一連の戸惑いこそ「動執生疑」であり、これが法華経の展開に与えた意義について、先生は次のように語っている。
「動執生疑とは、それまでの信念が大きく揺らぐことです。いわば既成の世界観が根底から打ち破られるのです。人々が安住している価値観を、劇的に打ち壊すことによって、釈尊の
釈尊は、弥勒菩薩の質問に答える形で、
◆ 使命に生き抜く
私も先輩や同志との出会いを機に、信心に励むようになった一人だ。父は、わが家の広布と師弟の歴史を繰り返し教えてくれた。
その中で、「自分のため」だけだった生き方が、「人のため」「
かつて私は、進路の悩みに直面していた際、先生が出席する会合に参加。「私の最後の事業は教育である」との師の言葉を聞いた時、自らの使命の道を定めた。
その4年後、高校の教員として地元・埼玉から鳥取へ。赴任の報告を聞いてくださった先生から「勝利」の2字が入った
だが、現実は苦悩の連続だった。相次ぐ退学者、妻の病、重なる辛労から
すると、不思議にも悩みを抱えた人と巡り合い、仏法対話が結実。やがて職場の状況は一変し、一家の苦境などの宿命も、一つ一つ乗り越えることができた。
日蓮大聖人は仰せである。「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(大悪大善御書、御書1300㌻)
小説『新・人間革命』第28巻「
「学会の実践の中に、地涌の菩薩の実像があり、崩れることのない幸福境涯を確立する直道があります。どうか、生涯、学会から離れず、地涌の使命に生き抜き、幸せになってください」
「地涌の使命」に生き抜く道を教えてくれた両親や先輩・同志、何より師匠への感謝は尽きない。
◆ 民衆の心の大転換
法華経において「地涌の使命」が明確に示されたのが、
法華経を
では、その大聖人に続く地涌の菩薩の要件とは何か――。
「
他の御抄でも拝せるように、大聖人と同じ決意に立ち、題目を唱える人こそ地涌の菩薩なのである。
現代において、世界中に題目を弘め、大聖人が仰せの「
その地涌の陣列は、平和・文化・教育の各分野にわたって世界を結んでいる。
創価学会にとっての「地涌の使命」の自覚――。
その起点は、第2代会長の戸田城聖先生が、戦時中に正義の信念を貫いて
戦後の混乱の中、草創の同志は、病苦や経済苦などの宿命を抱えながら、「地涌の使命」に目覚め、広宣流布へ
◆
本年11月、「広宣流布
池田先生は、先師・牧口先生、恩師・戸田先生への報恩を込めて「広宣流布 誓願の
「日蓮が
末法万年にわたる世界広布――その全ては「人」で決まるのだ。「弟子」で決まるのだ。
意義深きこの時に、各地で陸続と躍り出た男子部大学校1期生は、まさに仏の誓願に呼応した「地涌の菩薩」の
広島のあるメンバーは、長い引きこもり生活に
「彼は引きこもりで仕事をしておらず、人と上手に話すこともできません。でも、そんな彼が、きょう初めてスーツを着て、会館に来てくれました。それ自体が、すごい勇気だし、彼のすごいところだと思います」
この言葉を聞いた大学校生は涙を流し、新しい“一歩”を踏み出し始めました。
自分をわかってくれる人がいれば、必ず前進の一歩を踏み出せる。地涌の陣列の拡大とは、一人一人の可能性を信じ、引き出す“励ましの拡大”でもあろう。
法華経の「動執生疑」を通して、先生は、こうも語っている。
「創価学会は、地涌の菩薩の出現である。その行動は、事実のうえで、社会に“動執生疑”の波を広げてきた。これまでの小さなワクにとらわれた人々の心を揺さぶり、揺り動かしてきた。
動執生疑とは、いわば、そうした『変革』の原理であり、現実社会をダイナミックに、新しい大きな地平へとリードしていく行動である。
私どもの運動は、法華経のとおりの軌道で進んでいる」(『池田大作全集』第83巻、109㌻)
さらに、次のようなリーダー論にも展開されている。
「敵が紛然として競い起こり、世間が騒げば騒ぐほど、それが動執生疑となって、正法に縁する人も多くなる。『
いずれにせよ、たとえ世間が騒然となったとしても、“またこれで信心が鍛えられる。新しい大発展の好機である。ありがたいことだ”と、
中国方面では、今月22日に岡山で開催される「全国男子部幹部会」に向け、行学の錬磨に挑む大学校生を先頭に、皆が勇気の対話を繰り広げている。
さらに7月には、方面歌「地涌の
「
(2018年4月4日付 創価新報)より